第6回メッセージコンクール(2008年の作品)

★中学生の読書メッセージ!★


┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★☆



    埼玉県教育長賞



「星の王子さま」を読んで


 私はこの本は今までに読んだ数えきれないほどの本のなかで一番変わっている本だと思います。なぜなら、考えれば考えるほど難しくなる本を読んだのは、「星の王子さま」が初めてだったからです。


ある夜、一人の男の操縦する飛行機が砂漠に墜落します。そこで、男は自分の星から来たという「星の王子さま」に出会います。

 星の王子さまは男に旅の途中で出会った人々のことを話して聞かせました。その話の中で星の王子さまはあるキツネに出会いました。キツネは王子さまにこう言いました。


「おれの目から見ると、あんたはまだほかの十万もの男の子とべつに変わりない男の子なんだ。あんたの目からみると、おれは十万ものキツネとおんなじなんだ。だけど仲よくなるとおれたちはもう、おたがい離れちゃいられなくなるよ。あんたはおれにとって、この世でたったひとりの人になるし、おれは、おんたにとってかけがえのないものになるんだよ・・・。」
このキツネの言葉を読んだとき、私は、仲よくなる、ということはなって奥が深いのだろう、と思いました。人と仲よくなることは、その人と私がおたがいにとって「たったひとりの存在になる」ことだと思いました。

 そのあと、王子さまはキツネに秘密を教えてもらいました。それは、
「ものごとは心で見なくては、よく見えない。かんじんなことは目に見えない。」
ということです。私は、この言葉の意味がよくわかりませんでした。「心で見る。」ということはなんなのか。目に見えないかんじんなこととはなんなのか。疑問だらけでした。

 でも、王子さまがきつねと別れた話をしたあと、
「砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ・・・。」
と言い、それに男が
「そうだよ、家でも星でも砂漠でも、その美しいところは目に見えないのさ。」
と答える会話を読んだ時、さっきの「かんじんなこと」や「心で見る」ことの意味がわかった気がしました。そして、ものごとは、必ず、美しいものをかくしもっているから美しい、という考えはすばらしいと思いました。


 空も海も山も都会のビルも人ごみも、さらには自分の家だって、心で見れば、大切なことが見えてくるはずです。世界中の人が、ものごとを心で見れば、きっと、戦争がなくなって、おたがいのことを考えられる平和な世界になるのだと思います。だからこの本を子供から大人、老人まで、幅広い年齢に読んでほしいです。


 この本は私にとって、心で見ることの本当の意味や、ただ漠然として「美しい」という言葉には、とても深い意味があったことに気づかせてくれた本でした。そのことを忘れずに、これからも、様々な物事に接するとき、「心の目」で見られるように努力していきたいと思いました。そして私も王子さまにとても大事にしていたバラがあったように、自分の中にある大事なものを、これからも大切にしていきたいです。 


埼玉大学教育学部付属中学校2年 石川冴夏

 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。

●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・


     埼玉県中学校長会賞



「夢に向かって」


「すごいなぁ。」
この本を読み終えた私は、ただただこの一言しか出なかった。

 この本は、川村驥山、本名慎一郎が、どれほど書道を生きがいにしていたか、そして、いかに努力して、天才書道家になったのかを書いた伝記である。

 私はこの本を読み、コツコツ努力することの大切さを学んだ。この本に出てくる少年、慎一郎は小さい頃に書道を始め、ずっと練習してきた。また、この本には「汝等当勤精進則書 無難者 如小水常流能穿石」という言葉がある。これは「一生懸命、努力しなさい。そうすれば、何事も不可能というものはない。小さな水の流れでも、続けていれば、石に穴をあけることができる」という意味だ。私はこの本を読んではっとした。私にはニュースキャスターになりたいという夢がある。だが、その夢に向けて何か努力をしているだろうかと考えてみると、何もしていないのだ。毎回、口だけで終わっていて行動がともなわない。他にも様々な場面ではっとさせられた。特に、慎一郎が近くの寺にある芭蕉の葉に繰り返し何度も練習している場面では、自分がいかに何もしていないかを思い知らされたような気がした。他にも、五歳の慎一郎が「大丈夫」と書いたところも印象に残った。この字には、立派な男子になるぞ、という、彼の心意気がよく表れていた。彼はその通り、立派な男子になったと思う。この、目標に向かって努力することは、私にはまだできていない。だから私も、夢に向かってコツコツ努力できる人になりたい。

 また、二葉、驥山という立派な号をもらったら、私ならきっと「やった。すごいんだ私。」と、この時点で満足して、それ以上上を目指さなくなってしまっただろう。しかし、慎一郎は、それだけ満足して終わるのではなく、その名に恥じぬように、とさらに上を目指すのだ。これにはおどろいた。そして、私も自己満足を無くし上へ上へと目標をかえるようにしなければいけないのだと感じた。

 他にも、父を信じて熱心に勉強していた、という点も私には真似できないと思った。私は頑固なので、人にこうしなさい、ああしなさい、と言われると、余計なお世話だ、と思い、適当になってしまうくせがある。親にも何度も「素直になりなさい。」と言われているが、その言葉すら聞かず、フン、とそのまま流してしまっていた。だから素直に父に言われたことをやる慎一郎におどろいたのだ。ここまで信じあえる親子が、少しうらやましかった。そうだ、私が今までいけなかったのだ。もっと人の話を素直に聞いていればよかった。きっと、色々学べただろうし、もっと大らかな人間になれたと思う。

 また、一つ疑問に思ったことがある。それは、何故こんなに上手くいくのか、ということだ。多くの人が一度は挫折したことがあるのではないか。私だってたくさんある。ところが、慎一郎は小さい頃には周りにほめられ、大人になったら新聞にもとりあげられている。本人が努力していることが一番の原因だろうが、きっと他にもあるだろう。それは何か。周囲の応援ではないだろうか。父や母、たくさんの先生の支えやアドバイスがあったからこそ成功したのではないだろうか。

 私はこの本を読んで、自分の生き方について考えさせられた。これからは、夢に向かって努力するようにしたい。そうすればきっと今までできなかったこともできるようになるだろう。まずは、土台作りとして、周りのアドバイスを心で聞けるようにしたいと思う。いや、絶対してみせる。空から驥山の声が聞こえてくるようだ。
「夢に向かって突っ走れ。」
と。


さいたま市立浦和中2年 増山萌実
 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。
●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・


     埼玉県教育公務員弘済会賞



「青い鳥を読んで」


 丸い顔をして、優しげな瞳。少し吃音があるからだろうか。ゆっくりと話し、うんうんとうなづきながら、話をいつまでも聞いてくれる。そんな重松清をテレビで見たとき、子の人の書いた本を読んでみたいと思った。この本もそんな重松さんが、私たちに送ってくれているメッセージの一つのように感じた。

 この本を読んでいく内に、村内先生が重松清と重なってくる。何時間も黙って生徒のそばにいてくれる。君は一人じゃないよ。大丈夫だよ、大切なことは正しいこととは違う。先生は正しいことを教えるために先生になったのではない。大切なことだけを教えたい。間に合って良かった。と一言だけ残して去っていく。そこにはおしきかせの言葉やおせっきょうの言葉も無い。本当に大切なことを先生は一生けん命、必死で伝えてくれる。一人一人きちんと向き合って。

 ジェインの毛布という絵本を読んだことがある。ジェインはこの毛布が無いと落ち着かない。どこに行くにも持っていく。たとえそれが一本の糸になろうとも。先生が出会った千葉さんもハンカチをジェインのようにぎゅっとにぎりしめる。心がふるえようになると、ハンカチを握る。自分で言えない言葉も、このハンカチが聞いてくれる。たしか私も小さいころ、タオルがないと寝むれなかった。真夜中に急に目が覚めてしまい、手さぐりで探したことも覚えている。不思議とそのタオルをさわると、心がやすらいだ。けれど、気づくとタオル無しで寝むれるようになっていた。ジェインや千葉さん、私のようにこのようなものを誰でも持っていたのではないか。それは毛布だったりハンカチだったりと、人によって形は違うが自分でも気づかぬ内に人は成長し、それらに頼ることなく、自然と自分をコントロールできるようになっていくのではないだろうか。千葉さんはそれができずに、もがき、苦しみ、村内さんに出会うことができた。大切なことを伝える、ということは簡単そうでなかなかできない。だから、伝える方も真剣に、必死に伝えなければならない。もしそばにSOSの信号を出している人がいたらその人のそばにいて、話を聞いてあげる。大切なことを心から伝えることはきっと私にもできるはず。村内先生を通じて私はまた、重松さんから大切なメッセージをいただいたような気がした。しっかりと歩んで大きくなっていきたいと思う。


市立浦和中学校2年 井上莉穂
 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。

●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・


    教育ルネッサンス賞



「砂漠化防止のために暑い!暑い!暑い!」


 「暑い!暑い!暑い!」
ここ数週間、毎日のように私が口にしている言葉だ。ついこの前も体育館の温度が三十六度を超えてしまい、部活動が一時停止になった。そして、その「暑い」原因となっている地球温暖化は年々進んでいる。私は昨年、一昨年と自由研究で地球温暖化について調べたが、その一環として現在も深刻な環境問題となっている砂漠化についての本を図書館で見つけ、手に取ってみることにした。

 本を読んでみると砂漠化の実態は、私の勝手な想像――砂漠がじわじわと押し寄せ、周辺の草原を呑みこんでいく――とはずい分違っていた。広辞苑によると、「乾燥気候のため植物がほとんど生育せず、岩石や砂爍からなる広野」が砂漠だが、広い意味では植物の量がわずかである場所をさし、そうなった原因は問わない。新宿など植物が景観の中心にならないところも「都市砂漠」というらしい。砂漠化とは、乾燥地、半乾燥地および乾性半湿地域において、気候変動ならびに人間の活動など、種々の要素に起因する土地の劣化であると定義されているそうだ。この文を読んで、私は何か引っかかるものを感じた。それは、「人間の活動」という一言だ。

 砂漠化には大きく二つの要因がある。一つは旱魃や温暖化がもたらす、「土地の乾燥化」という気候的な要因。もう一つはとても壊れやすい生態系に対して、許容範囲を超えるほどの力が「人間によって」加えられて土地が劣化するという、人為的要因だ。しかも気候的な要因によって起因する砂漠化は全体の十三%にしかすぎない。つまり、砂漠化の要因はほとんどが私たち人間の活動によるものだということだ。このことは、温暖化による異常気象が砂漠化の主な要因だと思い込んでいた私にとって、大きな驚きだった。

 人為的要因には放牧地での過放牧、降雨だけに依存している畑での家耕、薪炭材や建設用木材を確保するための森林の乱伐などが当てはまる。過放牧とは、その土地の面積に適した数よりもたくさんの家畜を放牧することで、結果としては、牧草が食べつくされてしまい、砂漠化が進行する。過耕作も農産物を栽培しすぎることで、土の養分が偏ったり失われたりして作物が育たなくなることを言う。この二つは砂漠化するとますます土地面積が減少し、さらに過放牧や過耕作がひとくなるという悪循環だ。

 私はゴビ砂漠に行ったことがある。小学校五年生のときに、卒園した幼稚園が主催の旅行で中国に行ったのだが砂漠でも一泊したのだ。初めのころは、サラサラしたきれいな砂漠が視界いっぱいに広がっている様子に感動して楽しく歩いていたのだが、足をふみ出す度に砂の中に足が埋まってしまい、少しも行かないうちに疲れてしまった。休憩場所について硬い地面を踏んだときの安心感は強く印象に残っている。日中はラクダに乗って移動した。熱が伝わりやすい砂は、お昼ごろになると、火傷をしそうなほど暑くなるからだ。反対に、夜は気温が下がるとともに砂もとても冷たくなる。砂漠には遮るものが何もないため、昼と夜の気温差も激しい。さらに、砂漠の砂は粒が見えないほど細かく、手でつかんでもすき間からこぼれ落ちてしまう。このような環境で植物を育てることは、かなり厳しいことを実感した。

 私のゴビ砂漠での経験からも分かるが、砂漠に緑を復活させることはとても難しそうだ。砂漠化した土地には可溶性塩類を多く含んでいる土壌が多く、塩の結晶ができることもある。塩類の集積した土地では植物は水を吸収しにくく、塩自体による成長阻害もあるためほとんどの植物は育たない。つまり、砂漠化した土地に緑を取り戻すには、ただ植林すれば良いというわけではないのだ。

 だが、何も解決策が無いわけでもない。このような塩類の集積した土地でも育つ「塩生植物」という植物もある。マングローブやアッケシソウだ。それに、砂漠を緑化する前にやらなければいけないことは、これ以上砂漠化が進行しないように食い止めることだと思う。肉の消費量が増えれば過放牧は進むし、農産物の消費量が増えれば過耕作も進む。だが、この消費されている植物は全て必要なものだろうか。少しの無駄もないのだろうか。

 私が、食べ物、文房具、身の回りにあるものをもう少し大切にしていれば、砂漠化も少し食い止められていたかもしれない。この本を読んで私は、今まで他人事だと思っていた砂漠化は日本にも影響があり、実は私たちの生活も砂漠化を停めるためにできることが、小さいけれどあることも知った。これから私は、自分のことだけでなく、私がこれからもお世話になっていく地球の未来のことも考えながら生活していくようにしたい。


白岡町立篠津中学校2年 杉浦和佳

 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。

●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・


    教育ルネッサンス賞



「たった一人の妹へ」


 私には兄が一人います。年が三才離れていて、この話の主人公である兄妹とはいくつか異なる点はありますが、共感できる点は沢山ありました。そして、この話は全てが実話であるため、さらに感動を煽られました。

 この兄妹は兄が十七才、妹が十二才の時に両親を亡くしています。人一人でも本当に辛いのに両親を同時に無くすのはあまりにも残酷だったと思います。そして二人は当たり前のように親戚に引き取られていきました。両親を亡くしたばかりだというのに、生活能力のない二人は離れ離れで生きていかなければなりません。それがどれほどの孤独感に襲われる事なのか検討もつきません。私の両親は共働きで、私が小学校二年生に進級した頃から毎日が留守番になりました。当時私は一人ということが大嫌いでした。そんな中唯一の頼りはやはり兄でした。家の事をやらなくてはいけないので遊んでばかりいられず毎日留守番でしたが、兄は五年生で、帰りも遅い上、習い事などがありいつも家に居る訳ではありませんでした。「すぐ帰ってくるよ」という兄の言葉と、両親は時間になれば帰って来るという支えが私にはありました。しかしこの兄妹にはそんな支えもなく、何故んなに辛い思いをしなければならないのかと思いました。

 そんな孤独の中、兄はたまたま親戚の夫婦の会話を聞いてしまい、妹が盥回しにされている事を知ります。いても立ってもいられず、妹が居るはずの親戚の家へ電話をすると、もう妹は他の家に預けられていました。私は、妹を物のように扱うその親戚がとても許せません。確かに他人と同じ家に住むという事に抵抗があるというのは理解できるので否定はしませんが、何故妹の辛さを理解し、支えてあげようという気持ちになれないのか不思議で仕方ありません。もし、私に妹がいたとして、そんな目に遭わされていたら気がおかしくなると思います。

 兄は悔しくて悔しくて、毎日のように泣いていました。そんな中でも、妹は泣いていないか?元気にやっているのか?と本当に心配していました。私はそんな兄の姿に心を打たれました。自分も本当に本当に辛い中、妹の事を自分よりも心配し涙を流す。そんなに格好良い人間が他に居るだろうかと私は思います。

 どんな事があっても「妹の為」という一心で必死に耐え、二十一才になった兄は就職し、妹と暮らす事ができるようになりました。妹は、「嬉しい」と涙を流したそうです。妹がその時どんな幸せだったか、今までがどんなに辛かったのかが良く分かりました。

 兄は自分のことなど一切考えもせず、ひたすら働き、妹をなんとか高校に通わせる事ができたそうです。「私は十分幸せだから今度はお兄ちゃんが幸せになってほしい。」「俺の幸せなんかどうでもいい。妹がせめて人波の幸せを味わってくれればそれでいい。」こんなにお互いを思い合っている兄妹。やっと二人で幸せになれるのかと思いましたが、現実は本当に残酷なものでした。

 妹が交通事故で亡くなったのです。何故この兄妹はあんなにもお互いの幸せを願い合っている本当に優しい二人なのに、こんなにも酷い目に遭わなければならないのだろうと本当に悲しく思いました。いくら何でも妹まで亡くなるのは酷すぎると思います。

 この兄妹は兄が育ててくれた事に心から感謝し、父の日にネクタイをプレゼントしていたそうです。つけてほしいという妹に、恥ずかしいからと言ってつけなかった事を今でも悔やんでいると書いていますが、私は、妹は幸せだったと思います。それは、兄がこんなメッセージを本の最後に書いているからです。

「もしこの世に神様がいるとしたら、先に逝った妹があの世で幸せである事を切実に願う。来世でもまたあの頃の家族として出会いたいと俺は思う。お父さんへ、俺はこんなに立派になりました。先に逝った妹のことよろしく。お母さんへ、俺は何とかやっています。妹のこと可愛がってください。妹へ、色々迷惑かけたけど今までありがとう、そちらでは幸せになってください。俺がそちらに逝ったときはまた兄妹として仲良くやりましょう。」

 家族を全員亡くしてもまだ、こんなにも強く心を持ち続け、妹の幸せを祈り続ける兄の姿は、例えようがない程格好良いと思います。

 私も人の幸せを本気で願い、人の為に生きることができる人間になりたいです。

 そしてこの兄妹には、離れてしまったけれど、もう誰にも邪魔される事なく、ひたすら幸せになってほしいと思います。

 私の兄は一才の時に、大きな病気で手術を受けています。脳の手術であと少しでも遅れていたら確実に死んでいたそうです。

 沢山の方々の努力があって出会えた兄を大切にし、家族を大事にしていきたいです。


さいたま市立大原中学校2年 楠涼子 

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★☆

第6回メッセージコンクール(2008年の作品)

★小学校高学年の読書メッセージ!★


┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★☆


    教育ルネッサンス理事長賞


「くちぶえ番長」を読んで


「弱い者いじめは嫌い!それを見過ごして逃げるのは大ッ嫌い!!」



 私のクラスに転校生がやって来て最初の自己紹介のときにこう言ったらどうだろう?きっとクラスの中が一瞬シーンとした後、すぐに


「カッコつけてる!」


とブーイングがおこりそうな気がする。私もはじめは、「転校して来たばかりなんだからそんなにいい子ぶらなくても・・・。」と思ってしまった。マコトは、案の定クラスの首領『おツボネさま』を怒らせてしまった。転校早々犬猿の中なんて、私には考えられない。「マコト、もう少し大人しくしてた方がいいよ!」


嫌な予感がして、私はとても心配になった。


 予感的中、大事件はやっぱりおこった。社会科見学の行きのバスの中での出来事。悪いことに担任の先生は風で休みという状況で、おツボネさまとその子分達は、マイク係りのマコトに協力しないばかりか文句たらたらで、バスの中にはしらけた空気が流れ、楽しいはずの社会科見学が最悪の雰囲気。私の経験ではそんなことは一度もない。五年生のみどりの教室の時も、公害学習やこの間の修学旅行の時も、毎回バスの中は大さわぎ。「レクやろうよ!歌おうよ!」とみんな楽しいことではすぐに意見が一致してまとまる。盛り上がりすぎて、先生から、


「静かに!!」


と注意されてしまうほどだ。でも、マコトたちのバスの中は私には想像できないような冷ややかなムードが続く。そんな中、クラスで一番大人しい高野さんがバスに酔って気分が悪くなってしまったのだ。おツボネさま達は、


「大丈夫?」


と友達を気使う言葉より先に、


「ちょっと!吐いたりしないでよ!汚いし、クサくなっちゃうから。」


と冷たく言い放った。優しさのかけらもないおツボネさまの言葉に、私はドキッとした。先生のいないバスの中で、高野さんは心細くて仕方なかったと思う。その時、


「運転手さん、バス停めて!」


と叫んだのはマコト。バスが停まるとマコトは高野さんを連れてバスを降り、歩いて目的地に向かった。自分と高野さんの二人分のリュックを背負って歩く姿を目の当たりにして、それまでおツボネさま達に逆らえず、一緒になってイジワルな事を言ったり、無関心を装ってきたりしたクラスメート達が、バスを降りて、歩き始めたのだ。もし私だったら、最初からマコトのように友達を思いやって勇気ある行動がとれただろうか。


「できる。」


とすぐに答える自信はない。けれども、同じ気持ちの友達が必ずいるはずだから、その友達と一緒ならできると思う。少なくとも、


「私は知らない。関係ない。」


とソッポを向くようなことだけはしたくない。


「どうしよう。私はどうすれば良いのだろう。」


とその時の人の気持ちをいつも考えられる自分でいたいと思う。


 その後も、マコトは仲間外れにされている子に話しかけたり、下級生をいじめる六年生の『ガムガム団』に勇かんに立ち向かって、やっつけた。マコトのこれらの行動は自分の損得を考えたものでも、人気者になりたいという下心があっての事でもない。ただ、困っている友達、悲しい気持ちでいる友達がいたら、そこにすぐとんでいくだけのこと。


「男子でも女の子でも同じクラスメートだし、クラスが違っても学校が違っても、だれかをひとりぼっちにしちゃいけない!」


という自分の信念をまげないマコトは、“弱きを助け、強きをくじく”本物の番長だと思う。


 私のクラスでは、一学期に、『言われた人が嬉しくなる言葉、悲しくなる言葉』をみんなで話し合った。言葉はとても便利で、人を喜ばせることが容易にできる。しかし、反対に一度言ってしまった言葉はとり消せず、人を傷つけてしまうことも簡単だ。思いついたまま、相手の気持ちを考えることもなく、口に出してしまう悪口は、意地悪や仲間外れ、そしてイジメにもつながってしまうかもしれない。一人ひとりが自分の言葉に慎重になって、言葉の重みを感じて発言すれば、もっと仲の良い、もっとあたたかなクラスになれるはずだ。私は今すぐマコトのように、正義感にあふれ、勇かんにふるまう事はできないかもしれないけど、いつも相手を思いやって、話し、行動することからはじめようと思う。そして、優しい人になりたいと心から思う。


 もし、マコトが私のクラスに転校して来ても、


「弱い者いじめは嫌い!それを見過ごして逃げるのは大ッ嫌い!!」


と言われない自分になっていたいと思うから。



さいたま市立 大宮小6年 佐藤初音

 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。
。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・


    さいたま市教育長賞


「チームふたり」を読んで


「父さんと母さんは、ふたりで一つのチームなの。」 



これは大地のお母さんが、大地にむかって言った言葉です。ふたりがいて、はじめて大きな力が出せる、そんな意味じゃないかと思います。


 私の今の担任の先生が、バスケットボールのときに、言ってくれた言葉があります。


「一人だけが上手くて、一人でドリブルをしているんじゃ勝てない。チーム全員が上手くなって、パスを出さないと試合に勝てない。」


そんな事を言ってくれました。全員が協力し合ってこそ大きな力が出せるということを、先生は教えてくれました。


 大地が、誠と組みたかったのに、純と組むことになって、すごくがっかりしたり、先生に腹がたったことは、よくわかります。きっと、全員がこういう経験はあると思います。でも、純に対してまですなおになれないのはあまりよくないような気がします。台地の気持ちも、私にはよくわかります。でも、純は卓球が弱い分をフォローしてくれようとしたり、大地に言われた練習を昼休みに一人でやったりしていました。そんな純のすなおさに気付いた大地が、ふたりでがんばろう、と決めたときには、がんばれ、そう応えんしてあげたくなりました。


 大地が、純とチームになると決まったときのところで、「大地は、いろんな思いをラケットにこめて、一気にふりぬいた」と書いてあります。いろんな思いは、「どうして僕が5年生の純なんかと組まなくちゃいけないんだろう。」とか、「このチームじゃ、市大会でベスト8に残れないよ。」とかの、不満な思いだったんじゃないかと私は思います。その不満を自信に変えてくれたのは、お母さんの、「チームふたり」の話だったんじゃないかなと思います。相手が弱ければ、強い方がフォローすればいい。それに、おたがいを信らいし合える、そういう事が出来る人間だからこそ親子とかじゃなくても、二人でがんばることが出来る、そういうことを、きっと大地は考えてくれたんだと思います。


 この本には、試合の結果は書いてありません。でも、私は、きっとこの二人は勝ったと思います。大地が強いのもそうだけど、一番の理由は、自信です。


「六年と五年のコンビなら、条件も同じだ。だったら、ぼくらは勝てる。」


大地は、試合前に純にむかってこう言っています。これに純も、自信を持って答えています。


 人と人が、おたがいを好きになって、信らいし合い、そして、自分に自信を持ったとき、初めて本物の「チームふたり」の力が出せるんだ、そういうことを大地と純は教えてくれました。



さいたま市立泰平小学校6年 岡野優希

 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。

。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・


   埼玉県教育公務員弘済会賞

「たった一人の自分」『伏してぞ止まん ぼく宮本警部です』を読んで


「止まってくれー。」


 これは宮本警部の最後の言葉です。『伏してぞ止まん ぼく、宮本警部です』という本では仕事に誠実で、がんばり続ける宮本警部を書いています。宮本警部は女性を助けようと線路に飛びこみ、なくなられました。宮本警部の姿に私は様々なことを、教えられました。

 自分の命をかえりみず、女性を助けようと路線にとびだした宮本警部に、私はやさしさと、心の強さを感じました。

 宮本警部は普段から、町中のみんなが幸せに、笑顔でいられるように力をつくしてくれていました。町中のみんなに心からのやさしさや愛情をあたえてくれていました。だから、自殺しようとした女性を助けようと、ためらいもなく路線に飛び込む勇気がわいたのだと思います。また、宮本警部のようなやさしさは決して遠いものではなく、私の身のまわりにも、私たちのことを心から考えてくれている人がいます。私はその人たちに感謝の気持ちを表そうと思いました。

 もう一つ宮本警部のすごいところは、「伏してぞ止まん」の強い心です。「伏してぞ止まん」とは、精いっぱい努力したうえで、もう一歩ふみ出してがんばることです。宮本警部は、たとえ自分がみんなより劣っていても、絶対にあきらめず、かつこつと努力したから警部になり、みんなのために働くことができました。

 でも今の私たちは、宮本警部に比べ、伏せるまでがんばることをしなくなっていると感じました。それは、きっと、他人の目を気にしすぎるからだと思います。自分が他人より劣っていると、自分に自信が持てなかったり、他人の人よりも優れていると、努力することを止めてしまうことがあるからです。私も実際に、それまで必死になわとびの練習をしていたのに、競っていた友達に勝ったからと言い、調子にのって練習をさぼってしまったことがあります。

 でもそれは、本当は間違っていることだと思いました。人それぞれいろいろな個性があって、いろいろなちがいがあって、それが素ばらしいことなのだから。自分は自分でしかないのだから。他の人と比かくばかりせず、自分の力の限り、ふせるまで努力することが大切なのだと、宮本警部は私に教えてくれました。

 私は、自分が自分であることのすばらしさと、そして私たちが、宮本警部のようなやさしさのおかげで、生きていくことができるのだということを学びました。だから、自分を支えてくれている人の感謝の気持ちをわすれずにいたいと思ったし、宮本警部に少しでも近づけるように、自分の個性を大切にしていこうと思いました。

「宮本警部、ありがとう」


さいたま市立太本小学校6年 舘由利香

 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。

。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・


      教育ルネッサンス賞


「マザー・テレサ」を読んで


「マザー・テレサのようになりたい」私は、この本を読んでまず最初に思いました。マザー・テレサは、自分が重い心臓病にかかっても、最後まで貧しい人や病気で苦しんでいる人々のために働きました。そして、もう助からない人にも、自分を愛してくれている人は必ずいる事、自分はこの世で必要とされていた事を教えつづけました。いままでゴミや動物のようにあつかわれていた人々にとって、この言葉やはどんなに心づよいだろう、と私は思います。


 マザー・テレサは、十二才の頃に、貧しい人々のために働きたいと思い、十七才で、ロレット修道会に入りました。そして、数年後、マザーはインドのカルカッタという町で働くことになります。その町には、食べ物が少なく、病気で死んでいく人が多くいるのです。とくに私がびっくりした所は、道路で生まれ、道路で育ち、道路で人生をおえる人がたくさんいるという事です。

 ある日、そんな町の女の子が、マザーの所にやってきました。女の子の手はひふ病でひどくあれ、まっ赤です。「お金を下さい。」

女の子は言います。マザーはお金はないけど、お薬はあるからぬってあげるね、と言いました。すると女の子はいやがり、「弟のほうが私よりもっとひどいから、弟にぬって上げてください。」と言うのです。マザーは女の子の家に行き、二人に薬をぬってあげました。そしてお母さんから、何日も前から何も食べていない話を聞き、わずかなお米をわけてあげました。すると、お母さんはお米を半分にわけ、となりの家にもすぐにもっていったのです。なんととなりの家も飢えで苦しんでいたのです。私は、とくにここが印象的です。これぞマザーが言う、「貧しい人の心は美しい」だと思いました。ほかにも、ゴミの山に赤ちゃんを捨てていくお母さんが、いっぱいいたり、病気でたおれている人々を野ねずみがかじり、ありがたかる事。想像するだけで驚いてしまいます。と同時に自分のおかれている環境にありがたさがわいてきます。

 あたりまえの事をふかく感謝できていない人が、この世の中にはたくさんいます。一秒一秒を大切にしなさい、この本はこう言っているんだと思います。では、私たちになにができるでしょうか。きっとマザーはこう言います。

「自分の両親やきょうだい、学校の友達にすてきな言葉をかけること。そして、困っている人を助けてあげることから始めましょう。おもっているだけではなく、まず実行に移しましょう。」と。

 私は人との思いやりがつながっていき、一つの輪になったときに地球は平和になるんだと思います。

 愛の大切さを伝えてくれてありがとう、

 マザー・テレサ。


日高市立高麗川小学校6年 小澤菜緒

 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。

。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・


    教育ルネッサンス賞


「精神科のドアをノックして」


「空中ブランコ」そんな題名が、私の目に飛びこんで来た。ただでさえ小説が少なく、さらに題名が自分の好きなものだったため、私の目の前には必常にかがやいて見えたのだ。そして私はゆっくりと読み始めた。私は本を読み始めた時から終わるまでずっと口がニヤニヤとしていて、読み終わったころには口の筋肉が痛んだ。



 この本は、注射が大好きで常識の無い自由人の精神科医、伊良部と、そこにおとずれて来る変な症状に悩む患者達をえがいている。この本は五つに分かれており、一つで一人の患者である。「空中ブランコ」は飛べなくなった空中ブランコ乗り、「ハリネズミ」は突端恐怖症のやぐさ、「義父のヅラ」は医学部の権力者の義父のヅラを取りたい衝動にかられる若者医師、「ホットコーナー」はイップスになってしまった有名野球選手、「女流作家」は心配性で、いやなことがあると吐いてしまう女流作家。全員が自らの高すぎるプライドや常識のせいで、素直な心や、自由な心を忘れてしまっている。私はこれは、大人になって社会にでて、「自分が大人だから…」と思い、自らにプレッシャーをかけているせいだ、と思う。初めこの人達は伊良部のことを常識の無いバカだと思い、「もう二度と来ない」とちかうが、自然と足が伊良部の元へ行く。そして、いつも遊びの心を持っている伊良部と接するうちに本当の自分に気付き、最後には伊良部を認めてしまう。私自身、もしも伊良部のような人がいたらそうなってしまうと思う。


 この本では、「素直な心の大切さ」がテーマになっていると思う。このテーマを受けて、私は二つ、考えたことがある。


 一つは、著者についてだ。この著者は、どんな人なのであろう、何がきっかけでこの本を書き始めたのだろう。私は自分に問いかけ、自分に答えた。「著者は常識はあるが、それにとらわれすぎていない、きっと、著者自身も気付かされることがあるのだろう。」と。


 二つ目は「忘れられた心」がかわいそうだとういうことだ。この「心」は昔からいて、子どものころは楽しみを与えてくれる源だった。しかし、後から来た常識やプライドのせいで押しつぶされてしまったのだ。そこで、常識を無くそう、と思ってもそれなりに大切だからいくらか必要だ。子どもは「心」百%でも良いのだが、大人だとそうはいかない。なので「調整」しなければならない。それが「けじめ」というものではないのだろうか。


 私も大人になったら、このようになってしまうかもしれない。「けじめ」は文字だとたった三文字だが、やるのは国語辞典のか行を一分で覚えるのよりも難しい。もし大人になって息づまったら、精神科のドアをノックする。中から「いらっしゃーい」と聞こえ、私はドアを開くのだ。そして伊良部の笑顔を見る。

 
さいたま市立本太小学校6年 石川優

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★☆

第6回メッセージコンクール(2008年の作品)

★小学校低学年の読書メッセージ!★


┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★☆


       埼玉新聞社賞


「ねこと友だち」を読んで
 ぼくは、犬が好きだ。ねこはきらいではないけれど、よんでもプイッとすましてどこかへ行ってしまうし、首輪をつけて散歩もできないから、ちょっと苦手だ。でも、この主人公のねこには、ぼくは何とかして会いたくてたまらなくなってしまった。

 ねこはノラネコだった。今は、一人ぐらしのおばさんにかわれている。おばさんの家の金魚ばちに、南の海で生まれた小さなおさかなの夫ふがいて、仲良しになった。ノラネコの時は、話をしないのが決まり事だったが、ねこはおしゃべりの楽しさを知り、おさかなといっしょに泳ぐゆめまで見るようになった。本当に一人ぼっちが好きな人間も動物も、ぼくはいないと思う。色々な理由があって、一人(一匹)で生きていることはあっても、きっと仲間といたいはずだと思う。ノラネコのままだったら、たぶん一生わからなかった友だちとすごす楽しさを知り、このねこは幸せだと何だかぼくまでうれしくなってしまった。

 でもある日、テーブルの下にだんなさんのおさかなが落ちていた。息もたえだえのおさかなを助けようと、ねこは鼻先でつついたとたん、変な気分になり、思わず舌なめずりをし、よだれがたれて、頭がクラクラしてしまった。そして、おさかなに向かって、
「ぼくたち、友だちだよね。でも、ぼくはもうここにはいられない。食べちゃうかも・・・。」
と、つめを立てた。でも、ねこは食べなかった。苦しかったと思う。ぼくだったら、まよわず食べてしまっただろう。さびしいノラネコ生活をしていたから、ねこの“本のう”を強くがまんできたのかもしれないが、ねこのつらい気持ちがズッシリと、ぼくの心に重くのしかかった気がした。

 ねこは、魚のいない遠い世界、さばくを目指した。でも、やっと着いた所は港だった。ねこは、ひ物作りのおじさんから、魚をもらった。ガブリと食べたら、おいしかった。でも、あのおさかなを食べた気がして、ねこは自分がイヤになってしまった。友だちのおさかなと、友だちと同じ形の食べ物の魚とがいて、どこかがちがうことに気づいた時、ねこはおさかなの夫ふに会いに、帰って行った。ねこはおさかなのだんなさんが死ぬ前に、
「どうせ死ぬなら、あのねこ君に食べてもらえばよかったな。」
と言っていたことをおくさんから聞き、泣いた。ねことおさかなの、相手を思いやる気持ちが、キラキラと光っているように、ぼくには感じた。本当の友だちになれたのだ。

 ぼくは去年の十一月、引っこしをした。転校した時、さびしくて、今思うとノラネコ気分だった。でも新しい街で、たくさんの友だちができて、ぼくの自まんできることの一つになった。ねことおさかなさんに、ずっと仲良くいてほしいと思う。ねこ君、ぼくも友だちといっしょに、がんばっていくよ。ありがとう。


中央区立明石小学校4年 大山照央

 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。
●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・ 

   埼玉県公立小学校校長会賞




「いのちのあさがお」を読んで 
わたしは、「いのちのあさがお」という本を読みました。

 こうすけ君という、小学生の男の子が、白血病という思い病気にかかり、七才になったばかりのころ、残念ながら死んでしまい、天国へ行ってしまいました。

 こうすけ君は、いなくなってしまいましたが、家の庭には、こうすけ君が生きていた時に植えて、大切に育てていたあさがおが、大きな花を咲かせて、やがてたくさんのたねが取れました。

 こうすけ君のお母さんは、こうすけ君からもらったあさがおのたねをしゅうかくして、小さなふくろにつめて、こうずい運動会で出会ったみんなにたねを一ふくろずつ配りました。

 そのたねはみんなから、「いのちのあさがお」とよばれるようになりました。という本当にあった物語でした。

 こうすけ君が病気のために、いたくて、くるしくて、つらいけんさやちりょうを、たくさんがんばったのに、病気が治らずに死んでしまったと知って、わたしはとてもかわいそうで、悲しい気持ちになりました。

 本当はもっともっと、お父さんやお母さん、学校の先生やお友達といっしょにいたかったはずです。

 しゅじゅつや薬で治らない病気なんて、全部なくなってしまえばいいと思います。

 こうすけ君のお母さんが、みんなに配っているあさがおのたねは、「もうだれにも死んでほしくない」という願いがたくさんこめられていると思います。

 いつか、わたしの所にも「いのちのあさがお」のたねがとどいたら、最後まで、育てられなかったこうすけ君の代わりに、わたしがいっしょうけんめいあさがおを、育てて、きれいで、大きな花を、たくさんさかせて、天国にいるこうすけ君をよろこばせてあげたいです。

 こうすけ君のお母さんの願いが、たくさんのみんなに伝わって、みんなのかがやくえがおがふえるといいなと、思います。

 テレビのニュースで、む差別さつ人や自さつという言葉を聞きますが、そのたびにわたしはかなしくなります。生きたくても生きられない人がいるというのに、人の命をうばったり、自分の命をすててしまったりするのはまちがっています。みんな、お母さんのおなかで育って、生まれて外に出てきて、たくさんの人に出会って、助けられて大きくなってきたのを忘れてしまっているのです。

「人は一人では生きられない」とお父さん、お母さんが言っていました。わたしもそう思います。命は一つしかありません。

 わたしは、命を大切にすることを約束します。


加須市立三俣小学校4年 若松美奈

 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。

●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・


   埼玉県教育公務員弘済会賞

 
 宮本警部のお父さんはとてもりっぱなお父さんだと思います。なぜかというと、自分の子どもに「伏してぞ止まん」という良い言葉(せいいっぱい努力した上で、もう一歩ふみ出し、うつ伏せにたおれるまで止めるな、という意味)を教えてあげたからです。女の人がとびこもうとした急行列車が近づいた時、たぶん宮本さんはこの言葉を思い出したのだと思います。自分がどうなるかということより、その女の人を助けることだけを考えた所がすごいと思いました。宮本さんは、そのくらいおまわりさんという自分の仕事にプライドを持っていたのだと思います。駐在所きんむという自分で選んだ仕事が好きで、その地いきの人々のために一生けん命働きました。えらくなりたいとか有名になりたいとは思わずに努力のできる宮本さんはえらいです。


 宮本さんのお父さんと私のお父さんは少しにているなあと感じました。宮本さんが小さかったころ、夕食の時に、エイプリルフールだからうそをついてもいいと思って、兄弟三人でお父さんにお酒の代わりにお湯を注ぎ、お父さんにおこられたことがありました。そしてお父さんが、

「世の中はうそやサギまがいがまかり通っているが、家族の間でだまし合いだけはいやなんだ。」

と言います。その時のお父さんを想像すると、きっと私のお父さんも同じことを言うだろうなと思ったからです。ふざけてじょうだんでやったことでも、まちがったことをすると、うそはよくないとおこります。そしていつも私に、

「せい実がお父さんの一番好きな言葉。何かがうまくいかなくてもとにかく自分のやるべき事をまじめに一生けん命やり続けなさい、そうすればいつかきっと自分に返ってくるから。」

と言います。本当にそうなのか分からないけれど、本当のような気もします。宮本さんは、たぶんいつもせい実な気持ちでがんばっていたからこそ、人にも好かれたし人気があったのだと思います。私もそんな人になれたらいいです。

 私は宮本さんの助けた女の人があの後どうなったのかを知りたいです。どうしてこんなことをしてしまったのだろう、もうこれからはこんなことをしないで宮本さんの分まで生きていこうと思ってほしいです。宮本さん、天国で安らかにねむって下さい。そして私たちを見守っていて下さい。


さとえ学園小学校4年 松本美咲


 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。

●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・


    教育ルネッサンス賞


「いのちのひまわり はるかちゃんからのおくりもの」を読んで

 
 平成七年一月十七日、午前五時四十六分、ひょうごけん南部をしんげんした、マグニチュード七・二という大きな地しんがおこりました。この地しんで、この本に出てくる、はるかさんは、家具の下じきになり、十一才で死んでしまいました。


 はるかさんは、お父さん、お母さん、お姉さんの四人ぐらしで、となりの家には、ギーコちゃんという名前のオウムをかっている、堀江さん。うどん屋さんのあづまやさんがありました。はるかさんは、オウムのギーコちゃんに、毎日えさのひまわりの種をあげていたので、ギーコちゃんとは仲良しでした。うどんやさんには、友達のゆきちゃんがいました。毎日、楽しくくらしていました。

 あの日までは・・・。

 はるかさんのお姉さんのいつかさんは、はげしいゆれと、ものすごい音で、目がさめました。家は、あっという間にくずれ落ち、暗やみの中で、いつかさんは、声をふりしぼり、お父さん、お母さん、はるかさんをよびつづけました。かべ土と、土ぼこりで息苦しくなる中、家族を探し、ようやくケガをしたお父さんとお母さんをみつけることができました。私は、なんてこわいことがおきたんだろう。大きな地しんがいきなりきて、一人で暗い中家族をさがすことができるか・・・。たぶん、泣くしかできないと思います。きのうまで、ふつうに生活してきたしまいが死んでいて、もう、話をする事も、ケンカをすることも、できなくなってしまい、記おくと思い出だけですごすなんて、とてもつらいな・・・。と思いました。私にも、弟がいます。もしも、そうなったとしたら・・・。とても悲しいです。地しんいらい、ふさぎこんでしまったお母さん、お酒ばかり飲んで仕事もしなくなってしまったお父さん。家族のつながりみたいなものもうばってしまい本当に悲しい気がしました。一しゅんにしてこわい世界につき落とされてしまったいつかさんはとてもかわいそうでした。地しんから、しばらくしてうどんやのおじさんが、はるかさんが死んでいた場所から、大きな一りんのひまわりがさいている事を教えてくれました。ギーコちゃんのエサがこぼれてさいたんだと思います。いつかさんは、このひまわりがはるかさんの生まれかわりのような気がして、毎年種を取り、種をまき、次の年も、また次の年も、ひまわりがさきました。

このひまわりは、

「はるかちゃんのひまわり」

とよばれ、今では、日本全国、海外にもわたり、毎年きれいな花をさかせてくれています。さいたま市にある埼玉スタジアムにもはるかちゃんのひまわりがさいています。本当にきれいで、太陽の光をたくさんあびていて、

「生きている。」という感じがしました。大きな地しんにより、体も心もきずついてしまった人達がたくさんいます。人の命は、ゲームとは、ちがうので、やり直しがききません。いつもそばにいる家族を大切にして一日一日を大切に生きる、命の大切さを、あらためて考えさせられました。

 来年も、埼玉スタジアムに、

「はるかちゃんのひまわり」

を、見に行くつもりです。


さいたま市立和土小学校4年 田中沙幸

 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。

●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・


      教育ルネッサンス賞


「ナイチンゲールに教わったこと」


 わたしのしょう来のゆめ・・・。



それは、かんごしになることです。だれかを助けたり、何かをしてあげたりしたときに、その人の役にたてたと思うと、とても幸せな気持ちになるからです。


 でも「かんご」ってなんだろう?


 ナイチンゲールは小さいときから動物ずきでやさしい心をもっていました。それから、体の不自由な人、まずしい人のために、どうしたらいいのかをいつも考えていました。ナイチンゲールの心の中では、動物も人間も、いっしょで同じに大切なものなのだと思いました。


 かんごの仕事は、だれでも、どんな人でも、同じに手当てをしてあげること。かわいそうな人や、重い病気の人には、それ以上にしてあげることが大切なのだと思いました。


 十八才の時、、病院を見学したナイチンゲールは、かんごの道に進みたいと、家族に話しますが反対されます。そのころかんごは、みんなからいやがられる仕事でした。ナイチンゲールは、こまっている人を助け、役にたちたいという気持ちから強い意志をもって、家族と話し合いました。わたしは、そんなふうに、まわりを気にせずに、自分を信じた道に進んだナイチンゲールに、とてもひかれました。


 そして、クリミアせんそうのときには、多くのへい士たちが、きずついたり、大けがをしたりして、病院に運ばれました。ナイチンゲールは、みんなに助けてもらって、一生けん命病院をきれいに、せいけつにしました。それから、夜中には、きずついたへい士たちを見まわって、心のこもった言葉を、かけてあげました。ナイチンゲールは、体のきずを治す手伝いだけでなく、心を治す手伝いをしてあげたのでした。わたしは、かぜをひいただけで、気持ちがめげてしまいます。へい士たちは、うでや足がなくなったりして、それどころではなかったと思います。そんなときに、ナイチンゲールのやさしい言葉がどれだけ多くの人々の心をあたためたことでしょう。


 わたしは、ナイチンゲールの一生けん命さが大好きです。一生けん命行動したからこそまわりの人たちに伝わったのだと思います。自分よりも、自分以外の人のために、行動することは、なかなかできないことです。


 苦しんでいる人、困っている人に会ったら、助けてあげられればすてきです。そのことが、自分の心をゆたかにすると思います。


 この本を読んで、いろいろな人を、大切に思う心が強くなりました。


 しょう来、かんごしになって、がんばりたいと思う心が、前よりもずっと、ずっと、強くなりました。



行田市立泉小学校4年 山村萌

 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。

●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・


    教育ルネッサンス賞


「ちいちゃんからのメッセージ」


 ちいちゃんが、こっちを見ている。さみしそうな不安そうな目をして、何か私に伝えたそうだった。私は、ちいちゃんが伝えたかったことをうけとめたくて、この本を読もうとえらんだ。


 ちいちゃんが、お父さんに教えてもらった「かげおくり」という遊びを、私もこの本を読んで初めて知った。でも、ちいちゃんが好きなかげおくりも、すぐにできなくなってしまった。それは、戦争がはげしくなったからだ。おばあちゃんに戦争のことを聞いたら、「ばくだんが空からドドドドドォーとふってきて、おばあちゃんの家も焼けたのよ。」

と教えてくれた。空から雨ではなく、ばくだんがふってくるなんて、今の私にはぜんぜん想ぞうができない。

 そんな中を、お母さんやお兄ちゃんとはぐれ、一人になったちいちゃんは、どれほどこわく、不安だったろうと思う。だからちいちゃんは、あんな目で私を見ていたんだとわかった。もし私がちいちゃんだったら、頭の中が真っ白になって、泣きわめいていただろう。

 さみしさと不安にたえた、ちいちゃんの命は、夏の空に消えていった。どうして小さなちいちゃんまで、亡くならなければならなかったのか、私は何度も何度も考えた。家が焼けたり、人が死んだりする戦争に、いいことなんか一つもない。八月六日午前八時五分、広島で、数十万人もの人の命が、一しゅんで消えた。戦争が終わって六十三年たった今でも、原爆のこういしょうで苦しんでいる人がたくさんいる。戦争で家族を亡くした人の心のきずは、なおることはない。戦争は、悲しみとにくしみだけがのこる。だから戦争は、絶対にしてはいけないんだと強く感じた。

 この本の中で、たった一つだけよかったと思ったことがある。それは、ちいちゃんが最後にしたかげおくりだ。空色の花畑の中で、ちいちゃんはお父さんやお母さん、お兄ちゃんと出会うことができた。ちいちゃんのニコニコした笑顔とうれしそうな笑い声が聞こえてくるような気がして、

「よかったね、ちいちゃん。これからは戦争のない平和な空で、家族と幸せにくらせるね。」と、ちょっとホッとした気もちになった。

 ちいちゃんは、きっと私に戦争のおそろしさと、平和の大切さを伝えたかったんだと思う。

「かげおくりが、いつまでもできる青い空をずっと守っていってね。」

 明日の天気は、晴れだそうだ。そうしたら「かげおくり」をしてみよう。

そして、ちいちゃんに私のかげを送って、

「約束するよ。私たちが守っていくからね。」

と、伝えたい。


白岡町立篠津小学校3年 井口理優

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★☆

第6回メッセージコンクール(2008年の作品)

★小学校低学年の読書メッセージ!★


┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★☆
     

      審査委員長賞


「かわいいこねこをもらってください」
 ぼくはないた。いっぱいないた。こんな本、今までではじめてだ。


 この本は、ちいちゃんが子ねこをひろうところからはじまる。
ちいとなく子ねこをからすからまもり、ちいちゃんはしっかりはこをかかえた。そんな勇気がぼくにはあるだろうか。でも、アパートではかえなかった。しかも、子ねこの目にはありがたかっていて、すぐにびょういんへ行った。お金もすごくかかった。「あのね、私、お小づかいへらしていいよ。」とちいちゃんはつぶやいた。ぼくは、なんだかむねがキュンとなった。そして、学校と会社でかい主をさがしはじめたが、なかなか見つからない。ぼくは、心ぱいでどきどきした。そしてある夜、大家さんがやってきた。
「一週間たったらほけん所へ行きます。」
と言った。ぼくは、ほけん所がなにかわからなかった。そしてびっくりした。だってほけん所って、ころされてしまう所なんだもの。ぼくは、ふるえてこわくなった。かなしくなった。なみだが止まらなかった。どうしたらいいのか、ぼくの頭の中でぐるぐるまわった。ポスターもやくにたたないし、友だちにはからかわれた。でもちいちゃんは思った。
「いくらからかわれても、私のいのちはなくならない。でも、わたしがあきらめたら子ねこをころされる。」


 本とうにその通りだ。いのちより大じな物なんてない。人間だってどう物だって同じだ。そして、やくそくの日が明日になった。とつぜんリュックと子ねこをもって、全そく力でかけ出した。どこへ行くのか、ぼくの心ぞうは、どくんどくんとなってはれつしそうだった。そのとき、先生がよび止めた。先生の友だちが、子ねこをもらってくれる。ぼくはホッとして、思わずなみだがポロリとおちた。


 この本を読んで、ぼくはいのちの大切さと、さいごまであきらめたいでがんばることを学んだ。さいごにわらうちいちゃんと子ねこを見て、とてもあたたかい気もちになった。




さいたま市立本太小学校2年 ミラー千本マックス

 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。
●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・


    川越市教育長賞


ちいさなあかちゃん、こんにちは
 わたしはなつやすみにおじいちゃんにたのんでほいくきを見せてもらいました。なぜかというと、わたしがよんだこの本は、ロッテちゃんとタイスくんのいもうとのイサベルちゃんが三ヶ月も早くうまれてしまい、ほいくきにはいるはなしだったからです。さんふじんかのいしゃをしているおじいちゃんは、「ママがびょうきだったり、赤ちゃんがそだちにくいと十ヶ月より早くうまれてしまうことがあるんだよ。早くうまれても、ほいくきでママのおなかの中とおなじようにそだつからだいじょうぶなんだよ。」
とおしえてくれました。
タイスくんは、ほいくきの中のイサベルをみて、
「しくしくなきたくなっちゃうよ。」
といいました。やっぱり赤ちゃんはパパやママの傍にいたほうが、もちろんずっとたのしくてうれしいはずです。それからタイスくんは、イサベルのことをしんぱいしているママをしっかりだきしめてあげました。
ロッテちゃんは、かぞくみんながならんでいるえを二まいかいて、一まいはイサベルにみてもらえるようにほいくきにはいりました。二人ともやさしいきもちをもっていて、すてきだなとおもいました。
二人はイサベルのところにいくだびにあたらしいはっけんをするのですが、その一つに赤ちゃんのなきかたが、一人一人ちがっていることにきがつきます。わたしはそんなことがあるなんておもってもいなくて、びっくりしました。
とうとうイサベルがいえにかえれることになりました。二人はかわいいいもうとのために、大きな大きなえをかきました。パパやママといっしょに、リボンとふうせんで、家中をかざりました。かぞくにとってたいせつないもうとが元気にいえにかえることができてわたしもじぶんのかぞくのことのようにうれしくなってしまいました
わたしはときどきいもうととけんかをしますが、ほんとうはかわいいいもうとです。かぞくみんなが元気でくらせることは、しあわせでうれしいことだとおもいました。わたしもタイスくんやロッテちゃんにまけないくらいかぞくをたいせつにしたいです。
さとえ学園小学校1年 久我沙里亜

 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。

●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・


   埼玉県教育公務員弘済会賞
 わたしは、うえのどうぶつに二さいのころ一どいったことがあるらしいのですが、ぜんぜんおぼえていません。
 ぞうは、どうぶつえんのにんきものだけど、このぞうのおはなしは、とてもかなしいものがたりです。
 にっぽんとアメリカがせんそうをしていたころ、このどうぶつえんに、ジョン、トンキー、ワンリーという三とうのぞうがいました。
 せんそうがはげしくなって、ばくだんがおちるまえにぞうをころすことになりました。もしおりがこわされておそろしいどうぶつたちがまちへあばれだすとこまるからです。
さいしょあばれんぼうのジョンでした。どくのじゃがいもをたべさせようとしたけどぜんぜんたべません。すごくあたまがいい人だなとおもいました。たべものを一つもやらないでおいたら十七日めにしんだそうです。
 トンキーとワンリーもつづいてころされることになりました。えさをやらないでいると、げんきがなくなりやせていきました。
 わたしはかわいそうでなんとかたすけてあげたいとおもいました。どうぶつえんのかかりのひともつらくてないていました。ぞうはほんとうはいきたかったのにしんでしまってすごくかなしいきもちになりました。
 ぜったいにせんそうをしてはいけないとおもいます。それは人もどうぶつもみんなしんでしまうからです。
こんどうえのどうぶつえんへいったら、ぞうのおはかにおまいりにいきたいです。

さいたま市立泰平小学校1年 木村理穂

 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。
●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・

    教育ルネッサンス賞

「やさしいなかまたちっていいな」
「くれよんのくろくん」のほんをえらんだのは、さいくしゃのなかやみわさんの「そらまめくんシリーズ」のほんがすきだったので、ほかのほんもよんでみたいとおもったからです。
くれよんのみんなは、はこにはいったままでたいくつしていました。あるひ、きろくんがとびだしていって、しろいがようしにえをかきはじめました。きいろくんは、たのしくてほかのくれよんたちもよんできました。あかさんぴんくちゃんはおはなをかきはじめました。みどりくんきみどりくんもきました。つぎからつぎへとくれよんたちはとびだしてきて、みんなでえをかきました。おはなやきやそらをかいて、くれよんたちは、はじめてのえにだいまんぞくです。くろくんがきて、「ぼくもかきたい。」といいました。くろいえにされたくないので、みんなはなかまにいれてくれません。さみしそうにしているくろくんをみて、シャープペンのおにいさんがなぐさめてくれました。そして、いいかんがえをおしえてくれました。みんなのえをくろくんがまっくろにして、そのうえからシャープペンのおにいさんがからだをすべらせるときれいなはなびのえができました。くれよんたちはくろくんをかこんでおおよろこびしました。
わたしは、シャープペンのおにいさんは、くろくんのことをたすけてくれたのがとてもやさしいなとおもいました。くれよんのみんなのことをはじめはいじわるだとおもったけど、さいごはくろくんをなかまにいれてくれて、うれしいきもちになりました。シャープペンのおにいさんのようなひとがたくさんいたらいいなとおもいました。わたしもさみしそうにしているともだちがいたら、ゆうきづけてあげたい。わたしは、こまっているひとがいたら、たすけてあげられるひとになりたいです。ともだちをなかまはずれにしないで、みんなでなかよくしたいとおもいます。
くれよんたちのはなびのえがきれいだったので、わたしもさっそくかいてみようとおもい、くれよんとがようしをよういしてみました。
さいたま市立本太小学校1年 中川理緒
 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。

●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・
    教育ルネッサンス賞

「アリに知恵はあるか?」を読んで
「犬って、りこうなんだなあ。」
最近、耳の不自由な人を助ける『ちょうどう犬』、目の不自由な人を助ける『もうどう犬』、体の不自由な人を助ける『かいご犬』などの話をテレビや新聞で知るたびに、そう思います。わたしのお母さんのつとめているもう学校にも、目の見えない先生がいて、毎日、もうどう犬といっしょに学校に来て、一日中、あつい日もさむい日も、ろう下のすみで、がまん強くまっているそうです。
前に、いるかの本を読んだ時も、自由に泳げるのうりょくがあったりして、りこうな生き物や動物に感心させられていました。
そんな時に、ほかの生き物のかしこい所とかを、もっと知りたくなり、ちょうど、この本をさがしました。わたしは、アリののうみそなんて、ものすごく小さいから、知恵なんてあるのかなと思い、きょう味がわき、あっという間に読んでしまいました。実験は、毎日のようすが細かくきろくされて、絵もわかりやすく、次から次へと、はらはらどきどきしながら読めて、とても楽しかったです。
キャラメルをおいた時、アリたちがほかの虫に取られないように、砂や木の葉でかくして運んでいました。また、のりを気のみきにぬって、わざとアリを通れなくした時に、のりの上に砂を運んで通り道を作ってわたった時は、びっくりしました。
本の終わりに、アリに知恵があるかないかということで、「みなさんはどんなふうに考えますか?」とかいてありました。
わたしは、はたらくアリはもちろんすばらしいし、まわりでうろうろしているアリも、きっと、かしこいアリのまねをしたり、教えてもらって、かしこいアリになっていけると思います。そして、この本のように実験しながら、失敗したりやり直したりしながらかいた本を読む楽しみをはじめて知れて、よかったです。
西武学園文理小学校2年 深瀬絵美子

 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。

●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・


   教育ルネッサンス賞


「かわいいこねこをもらってください」


 「このこは、あたしがあきらめたらころされる。」

 ちいちゃんは、ぜったいあきらめなかった。だから子ねこは、たすかった。
 ちいちゃんは、ゆう気があるなと思った。


 わたしは、どうぶつは大すきだけど、カラスはこわい。だから、きっとにげ出したと思う。そしたら、子ねこは、カラスにいじめられて、しんでしまったかもしれない。

 ちいちゃんは、ゆう気を出して、カラスをおいはらった。子ねこは、たすかった。


 でもちいちゃんのいえは、アパートでねこは、かえない。ちいちゃんとおかあさんは、いっしょうけんめいもらい手をさがした。なかなかもらい手は、見つからない。そのうちに子ねこは、だんだんかわいくなって、ちいちゃんが学校からかえってくると、げんかんの前で、おでむかえをしてくれる。


 わたしもママがお仕事をしているから、いつもかえると一人だ。だから、ちいちゃんみたいにおでむかえをしてもらえたらうれしいだろうなあと思った。どうしたら子ねこがちいちゃんのいえでずっとすめるのかなあ。大やさんがゆるしてくれたらいいのにと思った。


 でも大やさんから、「一週間もらい手が見つからなかったら、ほけんじょにつれて行きます。」と言われて、ちいちゃんとおかあさんは、もっと、もっといっしょうけんめいに、もらいてをさがした。するとちいちゃんは、学校の男子から、ねこバカと言われて、からかわれた。ちいちゃんはいっしょうけんめいなのに、それをバカにするなんてひどい。


 わたしだったら男子にけりをいれるだろう。


 ちいちゃんもおこってランドセルをほうりなげた。


 わたしならここであきらめたかもしれない。


 でも、ちいちゃんは、あきらめなかった。「いくらからかわれてもあたしのいのちは、なくならない。でも、このこは、あたしがあきらめたらころされる。」と思ってがんばった。


 わたしは、「ちいちゃんがんばれ!!」と心の中でおうえんした。


 前のひになっても、もらい手は、見つからない。このままでは、子ねこがころされる。わたしだったら、かわいそうだけど、すてちゃったかもしれない。


 ぜっ体ぜつめいなのに、ちいちゃんは、あきらめなかった。子ねこといっしょにいちをとび出した。どこへ行けばいいのかわからないのに、どんどんはしった。


 ほけん室の先生がよびとめてくれて、もらい手が見つかったことを聞いたときは、うれしかった。「よかったぁ、ああよかった。」とわたしもなみだがこぼれた。ちいちゃんと同じきもちだった。ちいちゃんがあきらめなかったからだね。


 ちいちゃん、あきらめないでがんばれば、いつか子ねことくらせるチャンスがあるかもしれないよ。おうえんしてるね。


さいたま市立仲町小学校2年 木村凛香

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★☆

第6回メッセージコンクール(2008年の作品)

★小学校低学年の感謝メッセージ!★


┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★☆



    教育ルネッサンス理事長賞


今から三年前、
十年間末っ子として育った私に妹ができました。

私にとって初めての妹だったので、
飛び上がるほど嬉しかったです。



妹のかわいい手を引いて散歩するときや、
小さな口にご飯を運んであげるときなどは、
お姉ちゃんになったんだなと感じます。

私が成長できたことや、
楽しい時間が増えたのは、
妹のおかげです。


私は妹が大好きです。
生まれてきてくれてありがとう。


羽年東中学校1年 吉澤美希


 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。
●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・


   埼玉県中学校長会賞

ありがとう。


ひざの上に乗って私の手から魚のはしっこをもらって食べてる。

私のあしはいつも温かかったよ。

私が少し暇で誰も居なくてほんの少し悲しかったとき、
君はいつも傍にきてくれたね。

私はきっと君がいるから、
傍にいてくれるから笑って生きていけるんだよ。

だから、どうかどうかほんの少しでも長く生きてね。

ねこじゃらしたくさんもってくるから…


加須市立昭和中学校2年 田中真美

 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。

●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・


      埼玉県教育公務員弘済会賞

ある夏の日、母の誕生日。

頭にはあったが、宿題など、
自分の事で精一杯だった僕は何もしてあげられずにいた。

誕生日なのにいつも通り家事をこなす母。

その顔はどこか悲しげで、
ぼくはそれを見るのが辛かった。


そうしている内にも時間は過ぎ、
夕飯の時。

今しかないと思ったぼくは
とっさにハッピーバースデーを歌った。

自然と弟も続く。

母ははっとしたような顔をして喜んでくれた。

来年はもっと良い誕生日にしてあげるからね。

 
さいたま市立浦和中2年 小島雄大

 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。

●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・


      教育ルネッサンス賞


怒ってくれてありがとう。

怒るってことは、
本当は苦しいと思う。

ほめることは簡単だけど、
怒るってことは相手を否定することだから辛いと思う。

でも、次の日には、
もう笑っていて普通の親と子に戻る。

ケンカとは違う。

でもケンカっていうのかな。

そんな事を考えてたら、
お母さんって役目は難しいんだなと思う。

そのままのお母さんでいてくださいな。

 
さいたま市立原山中学校3年 中澤安奈

 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。

●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・


    教育ルネッサンス賞


僕から皆さんへのお願いです。

想像して下さい。

日本とアフリカが入れ変わったとします。

アフリカの人々は
二十五度設定のエアコンを
一日中つけてるとしまう。

日本は扇風機すらありません。

日本の室内は四十五度なのに
アフリカは二十五度です。

そうなったら嫌ですよね。

しかし今は、
アフリカの人々がそういう立場なのです。

同じ地球で生活しているのだから
思いやりを持って下さい。

たとえ言語や肌の色がちがっても
同じ人間なのだから。


さいたま市立浦和中学校1年 関根智寛

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★☆

第6回メッセージコンクール(2008年の作品)

★小学校低学年の感謝メッセージ!★
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★☆
     埼玉新聞社賞
遠くはなれた所で一人、
私達家族のために一生懸命働いてくれてありがとう。
近くにいると気がつかない事も
遠くはなれているからこそ
気付くありがたさがあります。
夏休みにお父さんの家に行った時、
感謝の気持ちを込めて、
そうじをしてきました。
同じ空の下、
お父さんが私達のために頑張ってくれていると思うと
私も頑張れます。
単身ふにんは大変だと思うけど、
これからもお仕事頑張ってね。
新座市立片山小学校6年 伊原凛
 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。
●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・
   さいたま市教育長賞
「すっぱ~い。」



私がお弁当を食べるときに必ずでるセリフです。
その正体は、毎年私の家で作る梅干です。
でもそれは、すっぱいだけでなく、
どこか奥深くに家族の温かみがあるのです。


私は、梅干を作る時間の中でも
準備の時間が中でも一番好きです。
家族みんなが一丸となり心を一つにしているからです。


私の家の梅干は、
みんなを笑顔にし
家族の絆を深めているのだと思います。
越谷市立大沢北小学校6年 中柚羽
 
 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。

●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・
   埼玉県教育公務員弘済会賞
私の祖母は、私が幼稚園の頃から、
週一回、園や学校に花束を作って持たせてくれている。
家に咲いている花だから、
虫がついていたり、
曲がっていたりする。
けれど、私はその花が大好きだ。
園や学校でいやな事があっても、
花を見ると元気づけてくれる――。
祖母は『ボケ予防のため』と言っているけれど、
花のある教室は、
いつもやさしく、
あたたかい。
おばあちゃん、
いつもきれいなお花をありがとう。
加須市立大桑小学校6年 金子明音
 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。

●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・
    教育ルネッサンス賞
今、一人で悩んでいる人はいませんか?
一人で問題を抱え、苦しんでいる人に私は伝えたい事があります。
あなたには、一緒に考え、悩んでくれる家族や友達がいます。
家族や友達ではなくても、あなたを思ってくれている人はきっといます。

私もあなたの味方です。
だから一人で苦しまないで下さい。
誰でもいい、頼れる人に打ち明けてみて下さい。
一人でいるよりずっと気が楽になれると思います。
それが「仲間」という大切な宝物なんですよ。


新座市立片山小学校6年 稲垣恵未
 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・
    教育ルネッサンス賞
地球の笑顔の秘密。
この地球の大人は、
地球にいる子どもをいつも守ってくれる。
学校に行く時も、
帰る時もいつも見守ってくれている。
そういう大人に
私はありがとうの感謝の気持ちでいっぱいだ。
この地球のみんなにたくさんの笑顔があふれていて、
きっと今地球も笑っているはずだ。
毎日が笑顔でいられるのは、
この地球にいる心優しい大人の人達のおかげ。
さいたま市立仲町小学校6年 赤田実果
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★☆