第6回メッセージコンクール(2008年の作品)

★小学校高学年の読書メッセージ!★


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    教育ルネッサンス理事長賞


「くちぶえ番長」を読んで


「弱い者いじめは嫌い!それを見過ごして逃げるのは大ッ嫌い!!」



 私のクラスに転校生がやって来て最初の自己紹介のときにこう言ったらどうだろう?きっとクラスの中が一瞬シーンとした後、すぐに


「カッコつけてる!」


とブーイングがおこりそうな気がする。私もはじめは、「転校して来たばかりなんだからそんなにいい子ぶらなくても・・・。」と思ってしまった。マコトは、案の定クラスの首領『おツボネさま』を怒らせてしまった。転校早々犬猿の中なんて、私には考えられない。「マコト、もう少し大人しくしてた方がいいよ!」


嫌な予感がして、私はとても心配になった。


 予感的中、大事件はやっぱりおこった。社会科見学の行きのバスの中での出来事。悪いことに担任の先生は風で休みという状況で、おツボネさまとその子分達は、マイク係りのマコトに協力しないばかりか文句たらたらで、バスの中にはしらけた空気が流れ、楽しいはずの社会科見学が最悪の雰囲気。私の経験ではそんなことは一度もない。五年生のみどりの教室の時も、公害学習やこの間の修学旅行の時も、毎回バスの中は大さわぎ。「レクやろうよ!歌おうよ!」とみんな楽しいことではすぐに意見が一致してまとまる。盛り上がりすぎて、先生から、


「静かに!!」


と注意されてしまうほどだ。でも、マコトたちのバスの中は私には想像できないような冷ややかなムードが続く。そんな中、クラスで一番大人しい高野さんがバスに酔って気分が悪くなってしまったのだ。おツボネさま達は、


「大丈夫?」


と友達を気使う言葉より先に、


「ちょっと!吐いたりしないでよ!汚いし、クサくなっちゃうから。」


と冷たく言い放った。優しさのかけらもないおツボネさまの言葉に、私はドキッとした。先生のいないバスの中で、高野さんは心細くて仕方なかったと思う。その時、


「運転手さん、バス停めて!」


と叫んだのはマコト。バスが停まるとマコトは高野さんを連れてバスを降り、歩いて目的地に向かった。自分と高野さんの二人分のリュックを背負って歩く姿を目の当たりにして、それまでおツボネさま達に逆らえず、一緒になってイジワルな事を言ったり、無関心を装ってきたりしたクラスメート達が、バスを降りて、歩き始めたのだ。もし私だったら、最初からマコトのように友達を思いやって勇気ある行動がとれただろうか。


「できる。」


とすぐに答える自信はない。けれども、同じ気持ちの友達が必ずいるはずだから、その友達と一緒ならできると思う。少なくとも、


「私は知らない。関係ない。」


とソッポを向くようなことだけはしたくない。


「どうしよう。私はどうすれば良いのだろう。」


とその時の人の気持ちをいつも考えられる自分でいたいと思う。


 その後も、マコトは仲間外れにされている子に話しかけたり、下級生をいじめる六年生の『ガムガム団』に勇かんに立ち向かって、やっつけた。マコトのこれらの行動は自分の損得を考えたものでも、人気者になりたいという下心があっての事でもない。ただ、困っている友達、悲しい気持ちでいる友達がいたら、そこにすぐとんでいくだけのこと。


「男子でも女の子でも同じクラスメートだし、クラスが違っても学校が違っても、だれかをひとりぼっちにしちゃいけない!」


という自分の信念をまげないマコトは、“弱きを助け、強きをくじく”本物の番長だと思う。


 私のクラスでは、一学期に、『言われた人が嬉しくなる言葉、悲しくなる言葉』をみんなで話し合った。言葉はとても便利で、人を喜ばせることが容易にできる。しかし、反対に一度言ってしまった言葉はとり消せず、人を傷つけてしまうことも簡単だ。思いついたまま、相手の気持ちを考えることもなく、口に出してしまう悪口は、意地悪や仲間外れ、そしてイジメにもつながってしまうかもしれない。一人ひとりが自分の言葉に慎重になって、言葉の重みを感じて発言すれば、もっと仲の良い、もっとあたたかなクラスになれるはずだ。私は今すぐマコトのように、正義感にあふれ、勇かんにふるまう事はできないかもしれないけど、いつも相手を思いやって、話し、行動することからはじめようと思う。そして、優しい人になりたいと心から思う。


 もし、マコトが私のクラスに転校して来ても、


「弱い者いじめは嫌い!それを見過ごして逃げるのは大ッ嫌い!!」


と言われない自分になっていたいと思うから。



さいたま市立 大宮小6年 佐藤初音

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    さいたま市教育長賞


「チームふたり」を読んで


「父さんと母さんは、ふたりで一つのチームなの。」 



これは大地のお母さんが、大地にむかって言った言葉です。ふたりがいて、はじめて大きな力が出せる、そんな意味じゃないかと思います。


 私の今の担任の先生が、バスケットボールのときに、言ってくれた言葉があります。


「一人だけが上手くて、一人でドリブルをしているんじゃ勝てない。チーム全員が上手くなって、パスを出さないと試合に勝てない。」


そんな事を言ってくれました。全員が協力し合ってこそ大きな力が出せるということを、先生は教えてくれました。


 大地が、誠と組みたかったのに、純と組むことになって、すごくがっかりしたり、先生に腹がたったことは、よくわかります。きっと、全員がこういう経験はあると思います。でも、純に対してまですなおになれないのはあまりよくないような気がします。台地の気持ちも、私にはよくわかります。でも、純は卓球が弱い分をフォローしてくれようとしたり、大地に言われた練習を昼休みに一人でやったりしていました。そんな純のすなおさに気付いた大地が、ふたりでがんばろう、と決めたときには、がんばれ、そう応えんしてあげたくなりました。


 大地が、純とチームになると決まったときのところで、「大地は、いろんな思いをラケットにこめて、一気にふりぬいた」と書いてあります。いろんな思いは、「どうして僕が5年生の純なんかと組まなくちゃいけないんだろう。」とか、「このチームじゃ、市大会でベスト8に残れないよ。」とかの、不満な思いだったんじゃないかと私は思います。その不満を自信に変えてくれたのは、お母さんの、「チームふたり」の話だったんじゃないかなと思います。相手が弱ければ、強い方がフォローすればいい。それに、おたがいを信らいし合える、そういう事が出来る人間だからこそ親子とかじゃなくても、二人でがんばることが出来る、そういうことを、きっと大地は考えてくれたんだと思います。


 この本には、試合の結果は書いてありません。でも、私は、きっとこの二人は勝ったと思います。大地が強いのもそうだけど、一番の理由は、自信です。


「六年と五年のコンビなら、条件も同じだ。だったら、ぼくらは勝てる。」


大地は、試合前に純にむかってこう言っています。これに純も、自信を持って答えています。


 人と人が、おたがいを好きになって、信らいし合い、そして、自分に自信を持ったとき、初めて本物の「チームふたり」の力が出せるんだ、そういうことを大地と純は教えてくれました。



さいたま市立泰平小学校6年 岡野優希

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   埼玉県教育公務員弘済会賞

「たった一人の自分」『伏してぞ止まん ぼく宮本警部です』を読んで


「止まってくれー。」


 これは宮本警部の最後の言葉です。『伏してぞ止まん ぼく、宮本警部です』という本では仕事に誠実で、がんばり続ける宮本警部を書いています。宮本警部は女性を助けようと線路に飛びこみ、なくなられました。宮本警部の姿に私は様々なことを、教えられました。

 自分の命をかえりみず、女性を助けようと路線にとびだした宮本警部に、私はやさしさと、心の強さを感じました。

 宮本警部は普段から、町中のみんなが幸せに、笑顔でいられるように力をつくしてくれていました。町中のみんなに心からのやさしさや愛情をあたえてくれていました。だから、自殺しようとした女性を助けようと、ためらいもなく路線に飛び込む勇気がわいたのだと思います。また、宮本警部のようなやさしさは決して遠いものではなく、私の身のまわりにも、私たちのことを心から考えてくれている人がいます。私はその人たちに感謝の気持ちを表そうと思いました。

 もう一つ宮本警部のすごいところは、「伏してぞ止まん」の強い心です。「伏してぞ止まん」とは、精いっぱい努力したうえで、もう一歩ふみ出してがんばることです。宮本警部は、たとえ自分がみんなより劣っていても、絶対にあきらめず、かつこつと努力したから警部になり、みんなのために働くことができました。

 でも今の私たちは、宮本警部に比べ、伏せるまでがんばることをしなくなっていると感じました。それは、きっと、他人の目を気にしすぎるからだと思います。自分が他人より劣っていると、自分に自信が持てなかったり、他人の人よりも優れていると、努力することを止めてしまうことがあるからです。私も実際に、それまで必死になわとびの練習をしていたのに、競っていた友達に勝ったからと言い、調子にのって練習をさぼってしまったことがあります。

 でもそれは、本当は間違っていることだと思いました。人それぞれいろいろな個性があって、いろいろなちがいがあって、それが素ばらしいことなのだから。自分は自分でしかないのだから。他の人と比かくばかりせず、自分の力の限り、ふせるまで努力することが大切なのだと、宮本警部は私に教えてくれました。

 私は、自分が自分であることのすばらしさと、そして私たちが、宮本警部のようなやさしさのおかげで、生きていくことができるのだということを学びました。だから、自分を支えてくれている人の感謝の気持ちをわすれずにいたいと思ったし、宮本警部に少しでも近づけるように、自分の個性を大切にしていこうと思いました。

「宮本警部、ありがとう」


さいたま市立太本小学校6年 舘由利香

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      教育ルネッサンス賞


「マザー・テレサ」を読んで


「マザー・テレサのようになりたい」私は、この本を読んでまず最初に思いました。マザー・テレサは、自分が重い心臓病にかかっても、最後まで貧しい人や病気で苦しんでいる人々のために働きました。そして、もう助からない人にも、自分を愛してくれている人は必ずいる事、自分はこの世で必要とされていた事を教えつづけました。いままでゴミや動物のようにあつかわれていた人々にとって、この言葉やはどんなに心づよいだろう、と私は思います。


 マザー・テレサは、十二才の頃に、貧しい人々のために働きたいと思い、十七才で、ロレット修道会に入りました。そして、数年後、マザーはインドのカルカッタという町で働くことになります。その町には、食べ物が少なく、病気で死んでいく人が多くいるのです。とくに私がびっくりした所は、道路で生まれ、道路で育ち、道路で人生をおえる人がたくさんいるという事です。

 ある日、そんな町の女の子が、マザーの所にやってきました。女の子の手はひふ病でひどくあれ、まっ赤です。「お金を下さい。」

女の子は言います。マザーはお金はないけど、お薬はあるからぬってあげるね、と言いました。すると女の子はいやがり、「弟のほうが私よりもっとひどいから、弟にぬって上げてください。」と言うのです。マザーは女の子の家に行き、二人に薬をぬってあげました。そしてお母さんから、何日も前から何も食べていない話を聞き、わずかなお米をわけてあげました。すると、お母さんはお米を半分にわけ、となりの家にもすぐにもっていったのです。なんととなりの家も飢えで苦しんでいたのです。私は、とくにここが印象的です。これぞマザーが言う、「貧しい人の心は美しい」だと思いました。ほかにも、ゴミの山に赤ちゃんを捨てていくお母さんが、いっぱいいたり、病気でたおれている人々を野ねずみがかじり、ありがたかる事。想像するだけで驚いてしまいます。と同時に自分のおかれている環境にありがたさがわいてきます。

 あたりまえの事をふかく感謝できていない人が、この世の中にはたくさんいます。一秒一秒を大切にしなさい、この本はこう言っているんだと思います。では、私たちになにができるでしょうか。きっとマザーはこう言います。

「自分の両親やきょうだい、学校の友達にすてきな言葉をかけること。そして、困っている人を助けてあげることから始めましょう。おもっているだけではなく、まず実行に移しましょう。」と。

 私は人との思いやりがつながっていき、一つの輪になったときに地球は平和になるんだと思います。

 愛の大切さを伝えてくれてありがとう、

 マザー・テレサ。


日高市立高麗川小学校6年 小澤菜緒

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    教育ルネッサンス賞


「精神科のドアをノックして」


「空中ブランコ」そんな題名が、私の目に飛びこんで来た。ただでさえ小説が少なく、さらに題名が自分の好きなものだったため、私の目の前には必常にかがやいて見えたのだ。そして私はゆっくりと読み始めた。私は本を読み始めた時から終わるまでずっと口がニヤニヤとしていて、読み終わったころには口の筋肉が痛んだ。



 この本は、注射が大好きで常識の無い自由人の精神科医、伊良部と、そこにおとずれて来る変な症状に悩む患者達をえがいている。この本は五つに分かれており、一つで一人の患者である。「空中ブランコ」は飛べなくなった空中ブランコ乗り、「ハリネズミ」は突端恐怖症のやぐさ、「義父のヅラ」は医学部の権力者の義父のヅラを取りたい衝動にかられる若者医師、「ホットコーナー」はイップスになってしまった有名野球選手、「女流作家」は心配性で、いやなことがあると吐いてしまう女流作家。全員が自らの高すぎるプライドや常識のせいで、素直な心や、自由な心を忘れてしまっている。私はこれは、大人になって社会にでて、「自分が大人だから…」と思い、自らにプレッシャーをかけているせいだ、と思う。初めこの人達は伊良部のことを常識の無いバカだと思い、「もう二度と来ない」とちかうが、自然と足が伊良部の元へ行く。そして、いつも遊びの心を持っている伊良部と接するうちに本当の自分に気付き、最後には伊良部を認めてしまう。私自身、もしも伊良部のような人がいたらそうなってしまうと思う。


 この本では、「素直な心の大切さ」がテーマになっていると思う。このテーマを受けて、私は二つ、考えたことがある。


 一つは、著者についてだ。この著者は、どんな人なのであろう、何がきっかけでこの本を書き始めたのだろう。私は自分に問いかけ、自分に答えた。「著者は常識はあるが、それにとらわれすぎていない、きっと、著者自身も気付かされることがあるのだろう。」と。


 二つ目は「忘れられた心」がかわいそうだとういうことだ。この「心」は昔からいて、子どものころは楽しみを与えてくれる源だった。しかし、後から来た常識やプライドのせいで押しつぶされてしまったのだ。そこで、常識を無くそう、と思ってもそれなりに大切だからいくらか必要だ。子どもは「心」百%でも良いのだが、大人だとそうはいかない。なので「調整」しなければならない。それが「けじめ」というものではないのだろうか。


 私も大人になったら、このようになってしまうかもしれない。「けじめ」は文字だとたった三文字だが、やるのは国語辞典のか行を一分で覚えるのよりも難しい。もし大人になって息づまったら、精神科のドアをノックする。中から「いらっしゃーい」と聞こえ、私はドアを開くのだ。そして伊良部の笑顔を見る。

 
さいたま市立本太小学校6年 石川優

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