第6回メッセージコンクール(2008年の作品)

★小学校低学年の読書メッセージ!★


┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★☆


       埼玉新聞社賞


「ねこと友だち」を読んで
 ぼくは、犬が好きだ。ねこはきらいではないけれど、よんでもプイッとすましてどこかへ行ってしまうし、首輪をつけて散歩もできないから、ちょっと苦手だ。でも、この主人公のねこには、ぼくは何とかして会いたくてたまらなくなってしまった。

 ねこはノラネコだった。今は、一人ぐらしのおばさんにかわれている。おばさんの家の金魚ばちに、南の海で生まれた小さなおさかなの夫ふがいて、仲良しになった。ノラネコの時は、話をしないのが決まり事だったが、ねこはおしゃべりの楽しさを知り、おさかなといっしょに泳ぐゆめまで見るようになった。本当に一人ぼっちが好きな人間も動物も、ぼくはいないと思う。色々な理由があって、一人(一匹)で生きていることはあっても、きっと仲間といたいはずだと思う。ノラネコのままだったら、たぶん一生わからなかった友だちとすごす楽しさを知り、このねこは幸せだと何だかぼくまでうれしくなってしまった。

 でもある日、テーブルの下にだんなさんのおさかなが落ちていた。息もたえだえのおさかなを助けようと、ねこは鼻先でつついたとたん、変な気分になり、思わず舌なめずりをし、よだれがたれて、頭がクラクラしてしまった。そして、おさかなに向かって、
「ぼくたち、友だちだよね。でも、ぼくはもうここにはいられない。食べちゃうかも・・・。」
と、つめを立てた。でも、ねこは食べなかった。苦しかったと思う。ぼくだったら、まよわず食べてしまっただろう。さびしいノラネコ生活をしていたから、ねこの“本のう”を強くがまんできたのかもしれないが、ねこのつらい気持ちがズッシリと、ぼくの心に重くのしかかった気がした。

 ねこは、魚のいない遠い世界、さばくを目指した。でも、やっと着いた所は港だった。ねこは、ひ物作りのおじさんから、魚をもらった。ガブリと食べたら、おいしかった。でも、あのおさかなを食べた気がして、ねこは自分がイヤになってしまった。友だちのおさかなと、友だちと同じ形の食べ物の魚とがいて、どこかがちがうことに気づいた時、ねこはおさかなの夫ふに会いに、帰って行った。ねこはおさかなのだんなさんが死ぬ前に、
「どうせ死ぬなら、あのねこ君に食べてもらえばよかったな。」
と言っていたことをおくさんから聞き、泣いた。ねことおさかなの、相手を思いやる気持ちが、キラキラと光っているように、ぼくには感じた。本当の友だちになれたのだ。

 ぼくは去年の十一月、引っこしをした。転校した時、さびしくて、今思うとノラネコ気分だった。でも新しい街で、たくさんの友だちができて、ぼくの自まんできることの一つになった。ねことおさかなさんに、ずっと仲良くいてほしいと思う。ねこ君、ぼくも友だちといっしょに、がんばっていくよ。ありがとう。


中央区立明石小学校4年 大山照央

 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。
●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・ 

   埼玉県公立小学校校長会賞




「いのちのあさがお」を読んで 
わたしは、「いのちのあさがお」という本を読みました。

 こうすけ君という、小学生の男の子が、白血病という思い病気にかかり、七才になったばかりのころ、残念ながら死んでしまい、天国へ行ってしまいました。

 こうすけ君は、いなくなってしまいましたが、家の庭には、こうすけ君が生きていた時に植えて、大切に育てていたあさがおが、大きな花を咲かせて、やがてたくさんのたねが取れました。

 こうすけ君のお母さんは、こうすけ君からもらったあさがおのたねをしゅうかくして、小さなふくろにつめて、こうずい運動会で出会ったみんなにたねを一ふくろずつ配りました。

 そのたねはみんなから、「いのちのあさがお」とよばれるようになりました。という本当にあった物語でした。

 こうすけ君が病気のために、いたくて、くるしくて、つらいけんさやちりょうを、たくさんがんばったのに、病気が治らずに死んでしまったと知って、わたしはとてもかわいそうで、悲しい気持ちになりました。

 本当はもっともっと、お父さんやお母さん、学校の先生やお友達といっしょにいたかったはずです。

 しゅじゅつや薬で治らない病気なんて、全部なくなってしまえばいいと思います。

 こうすけ君のお母さんが、みんなに配っているあさがおのたねは、「もうだれにも死んでほしくない」という願いがたくさんこめられていると思います。

 いつか、わたしの所にも「いのちのあさがお」のたねがとどいたら、最後まで、育てられなかったこうすけ君の代わりに、わたしがいっしょうけんめいあさがおを、育てて、きれいで、大きな花を、たくさんさかせて、天国にいるこうすけ君をよろこばせてあげたいです。

 こうすけ君のお母さんの願いが、たくさんのみんなに伝わって、みんなのかがやくえがおがふえるといいなと、思います。

 テレビのニュースで、む差別さつ人や自さつという言葉を聞きますが、そのたびにわたしはかなしくなります。生きたくても生きられない人がいるというのに、人の命をうばったり、自分の命をすててしまったりするのはまちがっています。みんな、お母さんのおなかで育って、生まれて外に出てきて、たくさんの人に出会って、助けられて大きくなってきたのを忘れてしまっているのです。

「人は一人では生きられない」とお父さん、お母さんが言っていました。わたしもそう思います。命は一つしかありません。

 わたしは、命を大切にすることを約束します。


加須市立三俣小学校4年 若松美奈

 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。

●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・


   埼玉県教育公務員弘済会賞

 
 宮本警部のお父さんはとてもりっぱなお父さんだと思います。なぜかというと、自分の子どもに「伏してぞ止まん」という良い言葉(せいいっぱい努力した上で、もう一歩ふみ出し、うつ伏せにたおれるまで止めるな、という意味)を教えてあげたからです。女の人がとびこもうとした急行列車が近づいた時、たぶん宮本さんはこの言葉を思い出したのだと思います。自分がどうなるかということより、その女の人を助けることだけを考えた所がすごいと思いました。宮本さんは、そのくらいおまわりさんという自分の仕事にプライドを持っていたのだと思います。駐在所きんむという自分で選んだ仕事が好きで、その地いきの人々のために一生けん命働きました。えらくなりたいとか有名になりたいとは思わずに努力のできる宮本さんはえらいです。


 宮本さんのお父さんと私のお父さんは少しにているなあと感じました。宮本さんが小さかったころ、夕食の時に、エイプリルフールだからうそをついてもいいと思って、兄弟三人でお父さんにお酒の代わりにお湯を注ぎ、お父さんにおこられたことがありました。そしてお父さんが、

「世の中はうそやサギまがいがまかり通っているが、家族の間でだまし合いだけはいやなんだ。」

と言います。その時のお父さんを想像すると、きっと私のお父さんも同じことを言うだろうなと思ったからです。ふざけてじょうだんでやったことでも、まちがったことをすると、うそはよくないとおこります。そしていつも私に、

「せい実がお父さんの一番好きな言葉。何かがうまくいかなくてもとにかく自分のやるべき事をまじめに一生けん命やり続けなさい、そうすればいつかきっと自分に返ってくるから。」

と言います。本当にそうなのか分からないけれど、本当のような気もします。宮本さんは、たぶんいつもせい実な気持ちでがんばっていたからこそ、人にも好かれたし人気があったのだと思います。私もそんな人になれたらいいです。

 私は宮本さんの助けた女の人があの後どうなったのかを知りたいです。どうしてこんなことをしてしまったのだろう、もうこれからはこんなことをしないで宮本さんの分まで生きていこうと思ってほしいです。宮本さん、天国で安らかにねむって下さい。そして私たちを見守っていて下さい。


さとえ学園小学校4年 松本美咲


 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。

●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・


    教育ルネッサンス賞


「いのちのひまわり はるかちゃんからのおくりもの」を読んで

 
 平成七年一月十七日、午前五時四十六分、ひょうごけん南部をしんげんした、マグニチュード七・二という大きな地しんがおこりました。この地しんで、この本に出てくる、はるかさんは、家具の下じきになり、十一才で死んでしまいました。


 はるかさんは、お父さん、お母さん、お姉さんの四人ぐらしで、となりの家には、ギーコちゃんという名前のオウムをかっている、堀江さん。うどん屋さんのあづまやさんがありました。はるかさんは、オウムのギーコちゃんに、毎日えさのひまわりの種をあげていたので、ギーコちゃんとは仲良しでした。うどんやさんには、友達のゆきちゃんがいました。毎日、楽しくくらしていました。

 あの日までは・・・。

 はるかさんのお姉さんのいつかさんは、はげしいゆれと、ものすごい音で、目がさめました。家は、あっという間にくずれ落ち、暗やみの中で、いつかさんは、声をふりしぼり、お父さん、お母さん、はるかさんをよびつづけました。かべ土と、土ぼこりで息苦しくなる中、家族を探し、ようやくケガをしたお父さんとお母さんをみつけることができました。私は、なんてこわいことがおきたんだろう。大きな地しんがいきなりきて、一人で暗い中家族をさがすことができるか・・・。たぶん、泣くしかできないと思います。きのうまで、ふつうに生活してきたしまいが死んでいて、もう、話をする事も、ケンカをすることも、できなくなってしまい、記おくと思い出だけですごすなんて、とてもつらいな・・・。と思いました。私にも、弟がいます。もしも、そうなったとしたら・・・。とても悲しいです。地しんいらい、ふさぎこんでしまったお母さん、お酒ばかり飲んで仕事もしなくなってしまったお父さん。家族のつながりみたいなものもうばってしまい本当に悲しい気がしました。一しゅんにしてこわい世界につき落とされてしまったいつかさんはとてもかわいそうでした。地しんから、しばらくしてうどんやのおじさんが、はるかさんが死んでいた場所から、大きな一りんのひまわりがさいている事を教えてくれました。ギーコちゃんのエサがこぼれてさいたんだと思います。いつかさんは、このひまわりがはるかさんの生まれかわりのような気がして、毎年種を取り、種をまき、次の年も、また次の年も、ひまわりがさきました。

このひまわりは、

「はるかちゃんのひまわり」

とよばれ、今では、日本全国、海外にもわたり、毎年きれいな花をさかせてくれています。さいたま市にある埼玉スタジアムにもはるかちゃんのひまわりがさいています。本当にきれいで、太陽の光をたくさんあびていて、

「生きている。」という感じがしました。大きな地しんにより、体も心もきずついてしまった人達がたくさんいます。人の命は、ゲームとは、ちがうので、やり直しがききません。いつもそばにいる家族を大切にして一日一日を大切に生きる、命の大切さを、あらためて考えさせられました。

 来年も、埼玉スタジアムに、

「はるかちゃんのひまわり」

を、見に行くつもりです。


さいたま市立和土小学校4年 田中沙幸

 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。

●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・


      教育ルネッサンス賞


「ナイチンゲールに教わったこと」


 わたしのしょう来のゆめ・・・。



それは、かんごしになることです。だれかを助けたり、何かをしてあげたりしたときに、その人の役にたてたと思うと、とても幸せな気持ちになるからです。


 でも「かんご」ってなんだろう?


 ナイチンゲールは小さいときから動物ずきでやさしい心をもっていました。それから、体の不自由な人、まずしい人のために、どうしたらいいのかをいつも考えていました。ナイチンゲールの心の中では、動物も人間も、いっしょで同じに大切なものなのだと思いました。


 かんごの仕事は、だれでも、どんな人でも、同じに手当てをしてあげること。かわいそうな人や、重い病気の人には、それ以上にしてあげることが大切なのだと思いました。


 十八才の時、、病院を見学したナイチンゲールは、かんごの道に進みたいと、家族に話しますが反対されます。そのころかんごは、みんなからいやがられる仕事でした。ナイチンゲールは、こまっている人を助け、役にたちたいという気持ちから強い意志をもって、家族と話し合いました。わたしは、そんなふうに、まわりを気にせずに、自分を信じた道に進んだナイチンゲールに、とてもひかれました。


 そして、クリミアせんそうのときには、多くのへい士たちが、きずついたり、大けがをしたりして、病院に運ばれました。ナイチンゲールは、みんなに助けてもらって、一生けん命病院をきれいに、せいけつにしました。それから、夜中には、きずついたへい士たちを見まわって、心のこもった言葉を、かけてあげました。ナイチンゲールは、体のきずを治す手伝いだけでなく、心を治す手伝いをしてあげたのでした。わたしは、かぜをひいただけで、気持ちがめげてしまいます。へい士たちは、うでや足がなくなったりして、それどころではなかったと思います。そんなときに、ナイチンゲールのやさしい言葉がどれだけ多くの人々の心をあたためたことでしょう。


 わたしは、ナイチンゲールの一生けん命さが大好きです。一生けん命行動したからこそまわりの人たちに伝わったのだと思います。自分よりも、自分以外の人のために、行動することは、なかなかできないことです。


 苦しんでいる人、困っている人に会ったら、助けてあげられればすてきです。そのことが、自分の心をゆたかにすると思います。


 この本を読んで、いろいろな人を、大切に思う心が強くなりました。


 しょう来、かんごしになって、がんばりたいと思う心が、前よりもずっと、ずっと、強くなりました。



行田市立泉小学校4年 山村萌

 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。

●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・


    教育ルネッサンス賞


「ちいちゃんからのメッセージ」


 ちいちゃんが、こっちを見ている。さみしそうな不安そうな目をして、何か私に伝えたそうだった。私は、ちいちゃんが伝えたかったことをうけとめたくて、この本を読もうとえらんだ。


 ちいちゃんが、お父さんに教えてもらった「かげおくり」という遊びを、私もこの本を読んで初めて知った。でも、ちいちゃんが好きなかげおくりも、すぐにできなくなってしまった。それは、戦争がはげしくなったからだ。おばあちゃんに戦争のことを聞いたら、「ばくだんが空からドドドドドォーとふってきて、おばあちゃんの家も焼けたのよ。」

と教えてくれた。空から雨ではなく、ばくだんがふってくるなんて、今の私にはぜんぜん想ぞうができない。

 そんな中を、お母さんやお兄ちゃんとはぐれ、一人になったちいちゃんは、どれほどこわく、不安だったろうと思う。だからちいちゃんは、あんな目で私を見ていたんだとわかった。もし私がちいちゃんだったら、頭の中が真っ白になって、泣きわめいていただろう。

 さみしさと不安にたえた、ちいちゃんの命は、夏の空に消えていった。どうして小さなちいちゃんまで、亡くならなければならなかったのか、私は何度も何度も考えた。家が焼けたり、人が死んだりする戦争に、いいことなんか一つもない。八月六日午前八時五分、広島で、数十万人もの人の命が、一しゅんで消えた。戦争が終わって六十三年たった今でも、原爆のこういしょうで苦しんでいる人がたくさんいる。戦争で家族を亡くした人の心のきずは、なおることはない。戦争は、悲しみとにくしみだけがのこる。だから戦争は、絶対にしてはいけないんだと強く感じた。

 この本の中で、たった一つだけよかったと思ったことがある。それは、ちいちゃんが最後にしたかげおくりだ。空色の花畑の中で、ちいちゃんはお父さんやお母さん、お兄ちゃんと出会うことができた。ちいちゃんのニコニコした笑顔とうれしそうな笑い声が聞こえてくるような気がして、

「よかったね、ちいちゃん。これからは戦争のない平和な空で、家族と幸せにくらせるね。」と、ちょっとホッとした気もちになった。

 ちいちゃんは、きっと私に戦争のおそろしさと、平和の大切さを伝えたかったんだと思う。

「かげおくりが、いつまでもできる青い空をずっと守っていってね。」

 明日の天気は、晴れだそうだ。そうしたら「かげおくり」をしてみよう。

そして、ちいちゃんに私のかげを送って、

「約束するよ。私たちが守っていくからね。」

と、伝えたい。


白岡町立篠津小学校3年 井口理優

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★☆