第6回メッセージコンクール(2008年の作品)

★中学生の読書メッセージ!★


┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★☆



    埼玉県教育長賞



「星の王子さま」を読んで


 私はこの本は今までに読んだ数えきれないほどの本のなかで一番変わっている本だと思います。なぜなら、考えれば考えるほど難しくなる本を読んだのは、「星の王子さま」が初めてだったからです。


ある夜、一人の男の操縦する飛行機が砂漠に墜落します。そこで、男は自分の星から来たという「星の王子さま」に出会います。

 星の王子さまは男に旅の途中で出会った人々のことを話して聞かせました。その話の中で星の王子さまはあるキツネに出会いました。キツネは王子さまにこう言いました。


「おれの目から見ると、あんたはまだほかの十万もの男の子とべつに変わりない男の子なんだ。あんたの目からみると、おれは十万ものキツネとおんなじなんだ。だけど仲よくなるとおれたちはもう、おたがい離れちゃいられなくなるよ。あんたはおれにとって、この世でたったひとりの人になるし、おれは、おんたにとってかけがえのないものになるんだよ・・・。」
このキツネの言葉を読んだとき、私は、仲よくなる、ということはなって奥が深いのだろう、と思いました。人と仲よくなることは、その人と私がおたがいにとって「たったひとりの存在になる」ことだと思いました。

 そのあと、王子さまはキツネに秘密を教えてもらいました。それは、
「ものごとは心で見なくては、よく見えない。かんじんなことは目に見えない。」
ということです。私は、この言葉の意味がよくわかりませんでした。「心で見る。」ということはなんなのか。目に見えないかんじんなこととはなんなのか。疑問だらけでした。

 でも、王子さまがきつねと別れた話をしたあと、
「砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ・・・。」
と言い、それに男が
「そうだよ、家でも星でも砂漠でも、その美しいところは目に見えないのさ。」
と答える会話を読んだ時、さっきの「かんじんなこと」や「心で見る」ことの意味がわかった気がしました。そして、ものごとは、必ず、美しいものをかくしもっているから美しい、という考えはすばらしいと思いました。


 空も海も山も都会のビルも人ごみも、さらには自分の家だって、心で見れば、大切なことが見えてくるはずです。世界中の人が、ものごとを心で見れば、きっと、戦争がなくなって、おたがいのことを考えられる平和な世界になるのだと思います。だからこの本を子供から大人、老人まで、幅広い年齢に読んでほしいです。


 この本は私にとって、心で見ることの本当の意味や、ただ漠然として「美しい」という言葉には、とても深い意味があったことに気づかせてくれた本でした。そのことを忘れずに、これからも、様々な物事に接するとき、「心の目」で見られるように努力していきたいと思いました。そして私も王子さまにとても大事にしていたバラがあったように、自分の中にある大事なものを、これからも大切にしていきたいです。 


埼玉大学教育学部付属中学校2年 石川冴夏

 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。

●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・


     埼玉県中学校長会賞



「夢に向かって」


「すごいなぁ。」
この本を読み終えた私は、ただただこの一言しか出なかった。

 この本は、川村驥山、本名慎一郎が、どれほど書道を生きがいにしていたか、そして、いかに努力して、天才書道家になったのかを書いた伝記である。

 私はこの本を読み、コツコツ努力することの大切さを学んだ。この本に出てくる少年、慎一郎は小さい頃に書道を始め、ずっと練習してきた。また、この本には「汝等当勤精進則書 無難者 如小水常流能穿石」という言葉がある。これは「一生懸命、努力しなさい。そうすれば、何事も不可能というものはない。小さな水の流れでも、続けていれば、石に穴をあけることができる」という意味だ。私はこの本を読んではっとした。私にはニュースキャスターになりたいという夢がある。だが、その夢に向けて何か努力をしているだろうかと考えてみると、何もしていないのだ。毎回、口だけで終わっていて行動がともなわない。他にも様々な場面ではっとさせられた。特に、慎一郎が近くの寺にある芭蕉の葉に繰り返し何度も練習している場面では、自分がいかに何もしていないかを思い知らされたような気がした。他にも、五歳の慎一郎が「大丈夫」と書いたところも印象に残った。この字には、立派な男子になるぞ、という、彼の心意気がよく表れていた。彼はその通り、立派な男子になったと思う。この、目標に向かって努力することは、私にはまだできていない。だから私も、夢に向かってコツコツ努力できる人になりたい。

 また、二葉、驥山という立派な号をもらったら、私ならきっと「やった。すごいんだ私。」と、この時点で満足して、それ以上上を目指さなくなってしまっただろう。しかし、慎一郎は、それだけ満足して終わるのではなく、その名に恥じぬように、とさらに上を目指すのだ。これにはおどろいた。そして、私も自己満足を無くし上へ上へと目標をかえるようにしなければいけないのだと感じた。

 他にも、父を信じて熱心に勉強していた、という点も私には真似できないと思った。私は頑固なので、人にこうしなさい、ああしなさい、と言われると、余計なお世話だ、と思い、適当になってしまうくせがある。親にも何度も「素直になりなさい。」と言われているが、その言葉すら聞かず、フン、とそのまま流してしまっていた。だから素直に父に言われたことをやる慎一郎におどろいたのだ。ここまで信じあえる親子が、少しうらやましかった。そうだ、私が今までいけなかったのだ。もっと人の話を素直に聞いていればよかった。きっと、色々学べただろうし、もっと大らかな人間になれたと思う。

 また、一つ疑問に思ったことがある。それは、何故こんなに上手くいくのか、ということだ。多くの人が一度は挫折したことがあるのではないか。私だってたくさんある。ところが、慎一郎は小さい頃には周りにほめられ、大人になったら新聞にもとりあげられている。本人が努力していることが一番の原因だろうが、きっと他にもあるだろう。それは何か。周囲の応援ではないだろうか。父や母、たくさんの先生の支えやアドバイスがあったからこそ成功したのではないだろうか。

 私はこの本を読んで、自分の生き方について考えさせられた。これからは、夢に向かって努力するようにしたい。そうすればきっと今までできなかったこともできるようになるだろう。まずは、土台作りとして、周りのアドバイスを心で聞けるようにしたいと思う。いや、絶対してみせる。空から驥山の声が聞こえてくるようだ。
「夢に向かって突っ走れ。」
と。


さいたま市立浦和中2年 増山萌実
 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。
●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・


     埼玉県教育公務員弘済会賞



「青い鳥を読んで」


 丸い顔をして、優しげな瞳。少し吃音があるからだろうか。ゆっくりと話し、うんうんとうなづきながら、話をいつまでも聞いてくれる。そんな重松清をテレビで見たとき、子の人の書いた本を読んでみたいと思った。この本もそんな重松さんが、私たちに送ってくれているメッセージの一つのように感じた。

 この本を読んでいく内に、村内先生が重松清と重なってくる。何時間も黙って生徒のそばにいてくれる。君は一人じゃないよ。大丈夫だよ、大切なことは正しいこととは違う。先生は正しいことを教えるために先生になったのではない。大切なことだけを教えたい。間に合って良かった。と一言だけ残して去っていく。そこにはおしきかせの言葉やおせっきょうの言葉も無い。本当に大切なことを先生は一生けん命、必死で伝えてくれる。一人一人きちんと向き合って。

 ジェインの毛布という絵本を読んだことがある。ジェインはこの毛布が無いと落ち着かない。どこに行くにも持っていく。たとえそれが一本の糸になろうとも。先生が出会った千葉さんもハンカチをジェインのようにぎゅっとにぎりしめる。心がふるえようになると、ハンカチを握る。自分で言えない言葉も、このハンカチが聞いてくれる。たしか私も小さいころ、タオルがないと寝むれなかった。真夜中に急に目が覚めてしまい、手さぐりで探したことも覚えている。不思議とそのタオルをさわると、心がやすらいだ。けれど、気づくとタオル無しで寝むれるようになっていた。ジェインや千葉さん、私のようにこのようなものを誰でも持っていたのではないか。それは毛布だったりハンカチだったりと、人によって形は違うが自分でも気づかぬ内に人は成長し、それらに頼ることなく、自然と自分をコントロールできるようになっていくのではないだろうか。千葉さんはそれができずに、もがき、苦しみ、村内さんに出会うことができた。大切なことを伝える、ということは簡単そうでなかなかできない。だから、伝える方も真剣に、必死に伝えなければならない。もしそばにSOSの信号を出している人がいたらその人のそばにいて、話を聞いてあげる。大切なことを心から伝えることはきっと私にもできるはず。村内先生を通じて私はまた、重松さんから大切なメッセージをいただいたような気がした。しっかりと歩んで大きくなっていきたいと思う。


市立浦和中学校2年 井上莉穂
 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。

●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・


    教育ルネッサンス賞



「砂漠化防止のために暑い!暑い!暑い!」


 「暑い!暑い!暑い!」
ここ数週間、毎日のように私が口にしている言葉だ。ついこの前も体育館の温度が三十六度を超えてしまい、部活動が一時停止になった。そして、その「暑い」原因となっている地球温暖化は年々進んでいる。私は昨年、一昨年と自由研究で地球温暖化について調べたが、その一環として現在も深刻な環境問題となっている砂漠化についての本を図書館で見つけ、手に取ってみることにした。

 本を読んでみると砂漠化の実態は、私の勝手な想像――砂漠がじわじわと押し寄せ、周辺の草原を呑みこんでいく――とはずい分違っていた。広辞苑によると、「乾燥気候のため植物がほとんど生育せず、岩石や砂爍からなる広野」が砂漠だが、広い意味では植物の量がわずかである場所をさし、そうなった原因は問わない。新宿など植物が景観の中心にならないところも「都市砂漠」というらしい。砂漠化とは、乾燥地、半乾燥地および乾性半湿地域において、気候変動ならびに人間の活動など、種々の要素に起因する土地の劣化であると定義されているそうだ。この文を読んで、私は何か引っかかるものを感じた。それは、「人間の活動」という一言だ。

 砂漠化には大きく二つの要因がある。一つは旱魃や温暖化がもたらす、「土地の乾燥化」という気候的な要因。もう一つはとても壊れやすい生態系に対して、許容範囲を超えるほどの力が「人間によって」加えられて土地が劣化するという、人為的要因だ。しかも気候的な要因によって起因する砂漠化は全体の十三%にしかすぎない。つまり、砂漠化の要因はほとんどが私たち人間の活動によるものだということだ。このことは、温暖化による異常気象が砂漠化の主な要因だと思い込んでいた私にとって、大きな驚きだった。

 人為的要因には放牧地での過放牧、降雨だけに依存している畑での家耕、薪炭材や建設用木材を確保するための森林の乱伐などが当てはまる。過放牧とは、その土地の面積に適した数よりもたくさんの家畜を放牧することで、結果としては、牧草が食べつくされてしまい、砂漠化が進行する。過耕作も農産物を栽培しすぎることで、土の養分が偏ったり失われたりして作物が育たなくなることを言う。この二つは砂漠化するとますます土地面積が減少し、さらに過放牧や過耕作がひとくなるという悪循環だ。

 私はゴビ砂漠に行ったことがある。小学校五年生のときに、卒園した幼稚園が主催の旅行で中国に行ったのだが砂漠でも一泊したのだ。初めのころは、サラサラしたきれいな砂漠が視界いっぱいに広がっている様子に感動して楽しく歩いていたのだが、足をふみ出す度に砂の中に足が埋まってしまい、少しも行かないうちに疲れてしまった。休憩場所について硬い地面を踏んだときの安心感は強く印象に残っている。日中はラクダに乗って移動した。熱が伝わりやすい砂は、お昼ごろになると、火傷をしそうなほど暑くなるからだ。反対に、夜は気温が下がるとともに砂もとても冷たくなる。砂漠には遮るものが何もないため、昼と夜の気温差も激しい。さらに、砂漠の砂は粒が見えないほど細かく、手でつかんでもすき間からこぼれ落ちてしまう。このような環境で植物を育てることは、かなり厳しいことを実感した。

 私のゴビ砂漠での経験からも分かるが、砂漠に緑を復活させることはとても難しそうだ。砂漠化した土地には可溶性塩類を多く含んでいる土壌が多く、塩の結晶ができることもある。塩類の集積した土地では植物は水を吸収しにくく、塩自体による成長阻害もあるためほとんどの植物は育たない。つまり、砂漠化した土地に緑を取り戻すには、ただ植林すれば良いというわけではないのだ。

 だが、何も解決策が無いわけでもない。このような塩類の集積した土地でも育つ「塩生植物」という植物もある。マングローブやアッケシソウだ。それに、砂漠を緑化する前にやらなければいけないことは、これ以上砂漠化が進行しないように食い止めることだと思う。肉の消費量が増えれば過放牧は進むし、農産物の消費量が増えれば過耕作も進む。だが、この消費されている植物は全て必要なものだろうか。少しの無駄もないのだろうか。

 私が、食べ物、文房具、身の回りにあるものをもう少し大切にしていれば、砂漠化も少し食い止められていたかもしれない。この本を読んで私は、今まで他人事だと思っていた砂漠化は日本にも影響があり、実は私たちの生活も砂漠化を停めるためにできることが、小さいけれどあることも知った。これから私は、自分のことだけでなく、私がこれからもお世話になっていく地球の未来のことも考えながら生活していくようにしたい。


白岡町立篠津中学校2年 杉浦和佳

 ● ○。。〇・    。●○・   。○・。● ○。

●。〇・    ●。○。     ○。●・  ○    ・


    教育ルネッサンス賞



「たった一人の妹へ」


 私には兄が一人います。年が三才離れていて、この話の主人公である兄妹とはいくつか異なる点はありますが、共感できる点は沢山ありました。そして、この話は全てが実話であるため、さらに感動を煽られました。

 この兄妹は兄が十七才、妹が十二才の時に両親を亡くしています。人一人でも本当に辛いのに両親を同時に無くすのはあまりにも残酷だったと思います。そして二人は当たり前のように親戚に引き取られていきました。両親を亡くしたばかりだというのに、生活能力のない二人は離れ離れで生きていかなければなりません。それがどれほどの孤独感に襲われる事なのか検討もつきません。私の両親は共働きで、私が小学校二年生に進級した頃から毎日が留守番になりました。当時私は一人ということが大嫌いでした。そんな中唯一の頼りはやはり兄でした。家の事をやらなくてはいけないので遊んでばかりいられず毎日留守番でしたが、兄は五年生で、帰りも遅い上、習い事などがありいつも家に居る訳ではありませんでした。「すぐ帰ってくるよ」という兄の言葉と、両親は時間になれば帰って来るという支えが私にはありました。しかしこの兄妹にはそんな支えもなく、何故んなに辛い思いをしなければならないのかと思いました。

 そんな孤独の中、兄はたまたま親戚の夫婦の会話を聞いてしまい、妹が盥回しにされている事を知ります。いても立ってもいられず、妹が居るはずの親戚の家へ電話をすると、もう妹は他の家に預けられていました。私は、妹を物のように扱うその親戚がとても許せません。確かに他人と同じ家に住むという事に抵抗があるというのは理解できるので否定はしませんが、何故妹の辛さを理解し、支えてあげようという気持ちになれないのか不思議で仕方ありません。もし、私に妹がいたとして、そんな目に遭わされていたら気がおかしくなると思います。

 兄は悔しくて悔しくて、毎日のように泣いていました。そんな中でも、妹は泣いていないか?元気にやっているのか?と本当に心配していました。私はそんな兄の姿に心を打たれました。自分も本当に本当に辛い中、妹の事を自分よりも心配し涙を流す。そんなに格好良い人間が他に居るだろうかと私は思います。

 どんな事があっても「妹の為」という一心で必死に耐え、二十一才になった兄は就職し、妹と暮らす事ができるようになりました。妹は、「嬉しい」と涙を流したそうです。妹がその時どんな幸せだったか、今までがどんなに辛かったのかが良く分かりました。

 兄は自分のことなど一切考えもせず、ひたすら働き、妹をなんとか高校に通わせる事ができたそうです。「私は十分幸せだから今度はお兄ちゃんが幸せになってほしい。」「俺の幸せなんかどうでもいい。妹がせめて人波の幸せを味わってくれればそれでいい。」こんなにお互いを思い合っている兄妹。やっと二人で幸せになれるのかと思いましたが、現実は本当に残酷なものでした。

 妹が交通事故で亡くなったのです。何故この兄妹はあんなにもお互いの幸せを願い合っている本当に優しい二人なのに、こんなにも酷い目に遭わなければならないのだろうと本当に悲しく思いました。いくら何でも妹まで亡くなるのは酷すぎると思います。

 この兄妹は兄が育ててくれた事に心から感謝し、父の日にネクタイをプレゼントしていたそうです。つけてほしいという妹に、恥ずかしいからと言ってつけなかった事を今でも悔やんでいると書いていますが、私は、妹は幸せだったと思います。それは、兄がこんなメッセージを本の最後に書いているからです。

「もしこの世に神様がいるとしたら、先に逝った妹があの世で幸せである事を切実に願う。来世でもまたあの頃の家族として出会いたいと俺は思う。お父さんへ、俺はこんなに立派になりました。先に逝った妹のことよろしく。お母さんへ、俺は何とかやっています。妹のこと可愛がってください。妹へ、色々迷惑かけたけど今までありがとう、そちらでは幸せになってください。俺がそちらに逝ったときはまた兄妹として仲良くやりましょう。」

 家族を全員亡くしてもまだ、こんなにも強く心を持ち続け、妹の幸せを祈り続ける兄の姿は、例えようがない程格好良いと思います。

 私も人の幸せを本気で願い、人の為に生きることができる人間になりたいです。

 そしてこの兄妹には、離れてしまったけれど、もう誰にも邪魔される事なく、ひたすら幸せになってほしいと思います。

 私の兄は一才の時に、大きな病気で手術を受けています。脳の手術であと少しでも遅れていたら確実に死んでいたそうです。

 沢山の方々の努力があって出会えた兄を大切にし、家族を大事にしていきたいです。


さいたま市立大原中学校2年 楠涼子 

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★☆